2018.12/11 ゴーン氏の成果
「 日産の不正に関する第三者委員会が今年9月に公表した報告書は「2000年代以降に排ガス測定値の書き換えが常態化した」と指摘。不正の背景について、コスト抑制に力点を置くあまり、「工場の維持・発展に不可欠な要素が失われた」と利益偏重に傾く企業体質を批判した。
日産は9月、不正の再発防止に向け、検査担当者の増員などに取り組む方針を表明したばかりだが、問題を食い止められなかった格好。多額の利益を稼ぎ出し、首脳陣に億円単位の高額報酬を支払う一方、現場は疲弊し、士気が低下している恐れがある。西川広人社長ら現経営陣の責任も問われそうだ。」
以上は12月6日配信のJIJI.COMからの抜粋である。企業体質なり風土というものが悪化した時に、それを一朝一夕には回復できない、ということを記事を書いている人が理解されているのか疑問に思ったのでとりあげた。
この記事に限らず、今回の日産の不正再発に関する記事の論調は同じようで、改善方針を示せばすぐにそれが実効化されると考えておられる記者が多いようだ。
企業体質や風土は、悪化するときももとに回復するときにも時間がかかる。仕組みを作れば、あるいは組織を改編すればすぐにその効果が現れるわけではないのだ。
特にゴーンが日産の社長となって行ったリストラは尋常なリストラではなく、人を削減しすぎて、会社の運営ができなくなった事態がリストラ一年目で起きている。この事実が当時も今も報じられていない。
コスト目標に合わせて人員を削減したところ開発ができなくなって、リストラしたスタッフを呼び戻していたのだ。
どれだけのスタッフが当時戻ったのか知らないが、当方が知人から見せられたその呼び戻しの手紙の文言であきれたことがある。その知人は、意地でも戻らない、と言っていた。
ゴーンの行ったリストラについて過去にさかのぼって検証することが必要である。検証すれば表に出た結果はV字回復であるが、企業の健全な体質を考慮したならば、カリスマ経営者と呼べない事実がいくつか出てくると思われる。
ドラッカーが指摘しているが、企業は資本家のものではなく、社会に必要な組織が残ってゆく。日産自動車が日本社会に必要な組織ならば、日本に残るだろうし、不要ならばルノーに吸収されるのだろう。
グローバル化で注意しなければいけないのは、社会に大きな影響を与える組織のリーダーの資質である。カリスマ経営者と呼ばれるには、社会に認められる組織を維持しなければいけない。日産自動車がフランスの会社になれば日本のGDPに与える影響だけでなく雇用の問題も出てくる。
カテゴリー : 一般
pagetop