2019.01/19 スーダラ節
1960年ごろに植木等のスーダラ節が大ヒットした。分かっちゃいるけどやめられない、というフレーズが流行語となっている曲で、日本の高度経済成長前の助走段階をうまく表現している。
この歌は名古屋で火が付いた、と言われているが、当時名古屋は中小企業が多く、平均年収では全区平均より低い地域だったらしい。酒のはしごも仕事もすべてがスイスイスーダララッタと進んでいった時代で、賃金も右肩上がりで労働者が皆幸福感を味わっていた。今池に黒川、女子大小路にキャバレーが乱立していった時代で、昼間のネオンが子供の目にもまぶしかった。
このころのサラリーマンは気楽な稼業だったが、今、サラリーマンは当時よりも職場環境が良くなったにも関わらずスイスイスーダララッタと調子よくいかないようだ。GDPも中国に抜かれた。
中国は、10年前よりも給与生活者の待遇は良くなり、去年まで、このスーダラ節のような状態だったが、今年仕事始めに上海まで出かけたが、米中関係の悪化からか少し陰りが出てきた。情報化時代は変化が激しい。
植木等に象徴される無責任サラリーマンが当時の世相を表しているのだが、ある意味ではワークライフバランスがうまくいっていた時代なのかもしれない。それが給与が上がり、ワークライフバランスがおかしくなっていったのかもしれない。
当方が就職した時の初任給は月給10万円の時代で、無機材質研究所に留学していた時の年収は、300万円台だった。そして転職するときには、家族4人で600万円前後の年収だった。また、肩書も何もなく、すなわち業務の責任は会社から与えられていなかった。
当時はバブル時代で、当方の倍の年収になった社外の友人もいた。当方のこの安い給与でも30年続く半導体治工具事業を立ち上げている。経営から見ればコストパフォーマンスの高い新事業立ち上げであるが、給与も安く、肩書も無く気楽だったから、うまくいったのかもしれない。この事業はスーダラ節に火が付いた名古屋の企業に移管されたので新たな発展を期待している。
カテゴリー : 一般
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