2019.01/23 気楽な企画
半導体治工具用高純度SiCは、ゴム会社にCIが導入された時の記念論文募集で最初に提案されている。しかし、この記念論文募集では、最初の締め切りに3件ほどしか集まらず、同期の友人が当方の論文を読み、人事部に連絡し締め切り延長を申し出ている。
そしてその友人の論文が一席に選ばれ、当方の論文は、入賞さえしていない。一席に選ばれた友人の論文は、夢というよりも荒唐無稽の内容で、当方の現実的な高分子から高純度セラミックスを作り、半導体事業を始める内容とは大きく異なっていた。
CI導入時の社長方針として、電池とメカトロニクス、ファインセラミックスが新事業の3本柱として提示されていたので、当方は論文の内容をファインセラミックスにしたのだが、友人のそれは社長方針とは全く関係のない内容だった。
友人は賞金10万円を得て、その賞金で小生の残念会を二人でしてくれたのだが、その時当方の論文の内容を実現したら、ということになった。この残念会はある意味キックオフの役割を果たしている。
その後、上司に改めて企画として提案したりしてヤミ実験を行い高純度SiCの前駆体合成に成功するのだが、ゴム会社ではそれ以上研究を進めることができなかった。
運よく、上司との折り合いが悪くなり、上司がアメリカ留学を提案してきた。当方は高純度SiCを実現したかったので、アメリカ留学を断ったのだが、上司はどうしても留学させたいということで当方が探してきた無機材質研究所留学を人事部と調整してくださった。
無機材質研究所には、ビジター研究員として研究所のテーマを行う予定だったのだが、たまたまゴム会社の昇進試験に落ちた連絡が人事部長から無機材質研究所にかかり、横で聞いておられた総合研究官の方が所長と調整してくださり、1週間の限定付きで高純度SiCの合成研究期間を設定してくださった。
そしてこの1週間の期間に、99.9999%の純度の黄色い粉ができてスタップ細胞並みの騒動になりかけたが、理研と無機材質研究所の違いは、極めて冷静に研究を育てる方向を先生方が真剣に考えてくださったことだ。そして、この時生まれた成果がゴム会社で30年続く事業になった。
実働はサービス残業に過重労働と細部を見れば大変であったが、大局的に見れば、JVのきっかけを作ってくださった小嶋莊一氏との出会いも含め、30年という時の流れはスーダラ節のごとく進んだのかもしれない。
一番大きい事業のきっかけとなったのは、昇進試験に落ちた当方のモラールアップのために総合研究官が働きかけた、東大本田教授のいうところの「やりがい詐欺」となるが、労働者のやる気を鼓舞することを詐欺と呼んでよいのかどうか。
当方は、その後のこの総合研究官のアドバイスで、仕事だけでなく人生においても何度も勇気づけられてきた。自分の人生から判断して、やはり、本田教授の概念は間違っていると思う。お金を超える人間関係、人との交流は、仕事において重要である。
直属の上司が誠実真摯であれば最高かもしれないが、追い出したくて当方の希望をかなえてくれたような上司も一方で大切である。パワハラやセクハラなど忘れ、いやな上司でも気楽に交流する必要がある。
(当時はおかしな主任研究員を忘れるため土日は仕事をやらずテニスに励んでいた。このおかげで無機材研におけるテニス大会で優勝できた。塞翁が馬である。パワハラやセクハラは人間関係から生まれるハラスメントだが、ハラスメントを個人の中で昇華する技は身に着けておいて損はない。数多くのハラスメントの被害にあってきたが、ひとつづつハラスメントの解決にあたるより、生産的な時間の使い方をしてきた人生で後悔はない。留学の世話をしてくださった主任研究員は、大変いやな上司であった(当方以外の課員全員が異動希望を出していた。当方は留学希望を出していた。)が、なぜか出世している(SiC事業の立役者と思われたのかもしれない。マネジメントとは人を成して成果を出すことであり、この観点では優れていた。当時SiCの事業を答案として提出し昇進試験を落とされた当方は複雑である。)。しかし、アメリカ留学をどうやって人事部長を丸め込んだのか知らないが、無機材研留学に切り替え、余った留学予算を当方が学会出席などの費用として使えるように調整してくださった。おかげで留学中は借家を二軒借りて、一軒を事務所として使うような生活で、学会も応用物理はじめあらゆる年会に出席できて飽きるほど勉強ができた。学位論文の構想もこのころ立てている。大学の先生の接待費も留学費用として使えたので、給与は安かったが、楽しい留学だった。サラリーマン人生で一番いやな上司という印象だったが、この留学環境を整えてくれたのは、ほかならぬこの上司だった。複雑な気持ちである。とても当時のハラスメントを訴える気分には慣れない。)
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