2019.02/07 技術が優先される時代
20世紀は、科学で技術開発を進め「なければいけない」時代だった。おそらく21世紀は、3世紀前のように技術が科学から解き放たれて発展する時代ではあるまいか。また、科学に拘束された技術開発を行っているメーカーは時代に取り残されるのではないか。
そもそも科学で明らかにされた機能だけを科学の恩恵としてありがたく開発してきたために、世界中がほぼ同じ方向で技術開発を進めることになった。この方法で技術の進歩は加速度的に速くなったが、情報化時代となった現代において、科学で明らかにされた技術開発では、他社との差別化が難しくなる。
また、情報化時代の市場では技術の陳腐化も著しい。それだけではない。半導体製品を見ればわかるように寡占化のスピードも速くなった。
変化の激しい時代に変わらない商品がある。例えば自動車。しかしこの自動車という商品はかつての自動車と呼ばれた商品と大きく変わろうとしているようにも見える。
エンジンがモーターに変わるという変化だけではない。トヨタはスープラを直6で復活させた。トヨタには実績のあるV6エンジンやその気になれば、傘下のスバルの協力を得てポルシェを凌ぐ水平対向エンジンをスープラに搭載することも可能だったはずだ。
トヨタのこの動きは、ただモータースポーツへの回帰ではない。おそらくトヨタはこのスープラを使って市場調査を試みるつもりかもしれない。そのたくみに考えられた仕様を見ると、文化と技術のインターフェースにおける機能調査をするようにも見える。
このトヨタの動きは、アメリカのテスラだけではない自動車市場への新規参入者の増加を見据えたものではないかと想像している。日本ではリチウム二次電池の事業に成功した旭化成が電気自動車で参入しようとしている。
アルビントフラーの第三の波に続きこのような第四の波が見え始めたが、この時代の技術開発の手法として従来の科学の手法に囚われていると、すぐに世の中の進歩に置いてきぼりにされるような気がする。また、科学的手法では当たり前の開発しかできない問題もある。
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