2019.04/07 家を建てるなら(3)
新築された南側二階の勉強部屋は、大学入学と同時にオーディオルームに変わった。
改築時に工務店社長が気を利かせてカーテンレールを二重構造にしてくれたので、防音用のカーテンを取り付けただけであるが、床が畳のためそれでも十分な吸音効果があった。
それ以来オーディオという底なし沼の趣味が化学実験という趣味に加わるのだが、資金源はアルバイトだった。
家庭教師のアルバイトを3件受け持てば当時大卒の初任給並みの10万円というお金が手に入った。学費は交通費も含めて年間10万円もあれば十分だったのではじめは潤沢な資金源だった。
しかし、部屋にふさわしい機器を導入しはじめたら、レコードが増えてゆき資金が不足してきたので、休日は井戸掘りのアルバイトを始めた。当時愛知県の輪中地帯では、水冷式エアコンが流行しており、井戸掘り要員が不足していた。
肉体を鍛えるために体育の授業では重量挙げやバーベル体操を選択した。この種目は教養部の授業の中でも人気が無く、その結果1時間半充実していたが、そのあとの授業が大変だった思い出がある。
ゴム会社に入って無茶な勤務形態で仕事をやっても体を壊さなかったのは、このころの習慣が役立ったのかもしれない。過重労働で問題になるのは、労働をしている本人が追い詰められていく点である。
気楽な毎日の中での過重労働を経験すると精神衛生を健全に維持できる労働に対する姿勢が身についてくる。授業中の居眠りが厳しく問題として問われた戦前ならば、学生時代の過重労働も大変だったかもしれないが。
それなりのオーディオルームができたために、学生生活がこの部屋を中心に展開している。周囲の学生から合コンやらダンスパーティーに誘われても音楽を聴いている時間を生み出すために断るしかなかった。アルバイトの時間以外は、現在と同様の音楽を聴きながら勉強する毎日だった。
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