2019.04/14 上野千鶴子氏の祝辞が話題になっている
4月12日に開かれた東京大学の入学式の祝辞が、話題を呼んでいる。【BuzzFeed Japan から】
「あなたたちはがんばれば報われると思ってここまで来たはずです。ですが、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」と述べ、さらに
「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」と言い、社会に根付く構造的差別に目を向けるよう求めたという。
全文を読んでみて、どれだけの東大生に理解されたのだろうか、と疑問に思った。この話は東京医科大の不正入試を事例に話を展開されたのだが、男女の性差に限らず、構造的差別は社会に存在し、出世を目標にまじめに頑張ってもそれが報われるとは限らない社会ではある。
堺屋太一氏はその著書で指摘していたが、国家公務員は採用試験の成績で昇進や配属部署が決まるという。これは試験制度が公正に運用されたなら一見公正に見えるかもしれないが、その後の公務員人生に採用時の成績がついてまわる。
これをどうとらえるかが問題になるが、そもそも公務員は努力をしない人種だから、と社会に思われている原因として堺屋太一氏はこの採用時の試験の問題を取り上げていた。
堺屋太一氏は頑張る必要が無い、あるいは頑張っても報われない公務員の問題をのべていたが、頑張っても報われない社会だとしても働くときにはやはり頑張る必要がある。
ドラッカーは、働く意味を貢献と自己実現とのべていた。すなわち頑張っても報われるかどうかはわからないからそれを当てにせず働くので貢献という意味になる、と理解できると、ドラッカーの働く意味を理解できる。
それでは働くときに頑張る必要が無いかと言えば、自己実現のために頑張る必要があるし、なにはともあれ、活力ある社会とするために貢献であっても頑張りたいと思う。
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