活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2019.10/10 材料技術(7)

おめでたいできごとだ。旭化成名誉フェロー吉野彰氏がノーベル賞を受賞された。Liイオンがインタカレーションされて電極に貯蔵されるリチウムイオン電池について現在の形で技術を完成された研究者である。

 

実はあまり知られていないがLiイオン二次電池を世界で初めて世に出したのはゴム会社とプリンター会社で、両社の共同事業の成果は1988年に日本化学会化学技術賞を受賞している。

 

但し、その時の電池の設計は現在のLiイオン電池の機構と異なり、電池の容量もコンデンサーに毛が生えた程度、とも揶揄されている。

 

ゴム会社では1984年にコーポレートアイデンティーを導入し、3つの社長指針が出され、そのうちの一つ、事業領域を拡大する、の中身に「ファインセラミックス」「電池」「メカトロニクス」を3本の柱として推進するとあった。

 

ファインセラミックスは、社長の先行投資判断で無機材質研究所の留学を途中でやめて始められた高純度SiCの事業が相当し、電池は1980年に企画(1977年に白川博士によりポリアセチレンの導電性デモが行われている)されたポリアニリンを正極に用いたLiイオン電池、メカトロニクスは電気粘性流体がそれぞれ相当する。

 

いずれもゴム会社で事業化されるが、最も長く続いたのは半導体治工具用高純度SiC事業で30年である。あとの二つは訳ありの短命であるが、実は、この二つのテーマに当方は、応援社員として関わっている。

 

電気粘性流体について過去にこの欄で、耐久性問題の解決や、三種の粉体、難燃製油などの成果を解説している。難燃製油はLiイオン電池の難燃剤としても使用されているホスファゼンである。

 

ポリアニリンLiイオン電池の事業が立ち上がった時に当方はそのプロジェクトのお手伝いをすることになったが、それをこの欄で書いてこなかった理由がある。あまり思い出したくない経験だからだ。

 

プロジェクトに関わるや否や上司から、ファインセラミックスの設備をすべて廃棄し、研究棟をすべて電池プロジェクトに明け渡せ、と命令された。住友金属小嶋氏と交流が始まった頃である。

 

役員に相談したところ、そのような方針は出ていない、と言われたので、上司に方針書を見せてくれ、と迫って、事なきを得てその後電池評価や電解質開発、電極開発などの下働き(注)をして、プロジェクトから解放され、電気粘性流体をお手伝いすることになった。

 

あの時、研究棟を明け渡していたら、高純度SiCの事業は立ち上がらなかった。吉野氏のノーベル賞のおめでたい話題で忘れていたことを思い出した。

 

(注)材料技術者は便利なので小間使いのように使われたが、それでも腐らなかった。吉野博士は、同じころ商品化に苦労されていた時期である。一生懸命電池について勉強しながら、業務を自分の経験知とすることに努力した。これは、辛い仕事を楽しくする方法である。特定のテーマを担当させてもらえるわけではなく悲しかったが、電池に関するすべての開発作業において単なる作業者として扱われたのは、堂々と全体の技術を勉強できる時間にできたので、今から思い返せば幸運なことだった。この時の経験が生きて、これまで電池のセミナーに数回講師として招聘されている。

カテゴリー : 一般

pagetop