2020.01/15 まちがいだらけのプログラミング教育(4)
プログラミング教育をする、ということは技術者教育をするという意味に近い。プログラミング教育の内容に、現象から機能を取り出す能力の育成科目を加えると技術者教育となる。
戦後の義務教育で技術者教育の重要性が叫ばれながらも、それは科学教育よりも一段低い位置づけで捉えられていた。
だから戦後の科学教育で育った人材、すなわち団塊の世代が企業の中核になると日本企業は科学一色に染められていった。
ゴム会社は、当方が入社したときに高卒社員が重用されていた会社で、技術系役員にも高卒役員がおり、タイヤ研究開発はKKDが主流だった。ただし、研究所は高学歴部隊で大学と変わらない雰囲気の職場だった。
だから、当時の大企業特有の科学命一色ではなく、技術と言うものを学ぶことが可能な土壌があった。当方は、大学と同様のパラダイムの職場に配属されたが、それと大きく異なるタイヤ開発の職場に興味があり、同期はじめ多くの方と交流した。
タイヤ開発はプログラミング同様にオブジェクト指向であり、機能をどのように実装するのか試行錯誤で業務が進行していた(注)。
研究所は手続き型言語同様にシーケンシャルにかつ論理的に業務が進められ、バグると永遠に終わりのない研究開発が行われているような状態だった。電気粘性流体はそのような状態で5年ほど続いていたテーマだ。
(注)思い付きや、ゆきあたりばったり、と揶揄された開発行為の中にも参考とすべき行為があった。人間はサルよりも賢いのである。人間の科学的ではない行為をよく観察すると、皆ばらばらであるが、その中にもパターンが存在する場合がある。例えば、PPAPの如く非論理的な組み合わせを躊躇なく実行するパターンと屁理屈でも意味ある組み合わせだけを追求するパターンは、非科学的でありながら、全く異なるパターンであることを認めることができる。前者では偶然による新発見を期待でき、後者ではパラダイムの間違いを気づかせてくれる。マイコンの黎明期に多くのコンピューター関連大衆紙が発行された。それらの書籍には日曜プログラマーの投稿による様々なプログラムが掲載されていた。それぞれのコードを読み解くと、明らかにプログラマーの癖というものが存在した。科学では、論理に基づくパターンしか生まれないが、コンピューターのプログラムにはプログラマーの癖によりさまざまなパターンが生まれることになる。プログラマーの癖は、科学的な論理に基づく場合もあれば、経験知に基づく場合がある。さらには、何ら説明のつかない癖もあり、他人のプログラムが読みにくい原因になっていた。オブジェクト指向になってもオブジェクトの設計方針にはやはりプログラマーの癖が現れる。ボーランド社のC++とマイクロソフト社のC++では、クラスの設計方針が異なっていたが、ボーランド社のクラスの方が使いやすかった。
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