2020.01/18 若手育成の難しい時代(1)
当方が退職するときに、すでに若手育成が難しいような状況だった。パワハラやセクハラに対して企業の取り組みが定着していたからである。
30年以上前ならば、パワハラやセクハラは、それらの被害者となってもあきらめなければいけない時代だった。
その時代でも企業によりそれらの扱いは異なり、ゴム会社では他人のFDを意図的に壊すような事件を隠蔽したが、写真会社では転職時にすでにパワハラやモラハラの対策が行われはじめた。
年に一度の職場アンケートがそれで、アンケート結果についてそれぞれの組織で管理職が議論し、その結果をまとめ人事に報告するシステムが始まっていた。
ゴム会社よりもこの方面では進んでいたが、その影響で部下の指導育成はゴム会社よりも難しかった。例えば、退職までに博士を一名かろうじて育成できたのだが、このような育成行為は、アンケート結果に悪い影響として現れた。
数名そのチャンスを与えてもアンケート結果に配慮し、一名育成するのが精いっぱいだった。大学の社会人留学生制度を利用していても、途中で部下から学位を諦めたいと言われれば、パワハラを懸念し激励して続けさせることができなった。
当方が左遷され組織を離れしばらくしてから、学位取得を諦めたと風の便りに聞いた部下にその理由を聞いても、会社の理解が無ければ難しい、という回答であり愕然とした。
新しい上司にも引き継ぎを行い、チャンスを与えてもそれを活かそうとしないのだ。当方はT大で学位取得直前に転職する事態になり、T大の先生から転職先からも奨学金を支払うように言われた。
転職先に迷惑をかけられないので、ゴム会社から十分すぎる奨学金が支払われたT大を辞退後、自分で審査料を支払い、資格試験を受け、さらに新たに学位論文を書き直して中部大学で学位を取得している。
学位は、科学を習得した証であり、その論文をまとめる作業において研究者としての成長を期待できる。
企業でリーダーとなりうる若手技術者を育成しようと考えたら、学位を取得させるのが一番良い方法と自己の体験から思っている。
長い年月をかけて科学という哲学を日本では義務教育として学ぶ。さらに大学まで行けば科学という哲学が身につくはずだが、今の大学の実情では学部レベルで科学を習得できるかどうかは学生の自己責任となる。
企業においてマンネリ化した技術開発を行っていると、科学のことなど忘れ職人となる大学卒の存在は企業の悩みである。
科学の哲学を身に着け、技術を科学の側面から評価できる技術者こそ企業で求められている技術者として最低限のあるべき姿である。
若い社員の甘い考えを否定もしたい思いと人材育成が企業にとって重要という思いとの葛藤の末、この人物に学位のチャンスを与えた当方の判断が間違っていたという反省に至る。
(注)科学成立以前、少なくともニュートン力学以前の時代の技術者ならば、科学を知らなくても許された。しかし、技術の伝承において科学は唯一のそれを効率化できる方法を提供するので、科学を知らない技術者が職人と言われても仕方がない。科学を知り、技術の方法も熟知した技術者が現代の真の技術者である。
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