2020.03/07 悪人
新型コロナウィルスのPCR検査について、TVによく出ておられる岡田春恵特任教授が、先日朝のワイドショーである政治家から聞いた話として、「感染研OB」が検査結果のデータを自分で持っていたいという理由でPCR検査の民間への委託を妨害している、と発言されたらしい。
当方もゴム会社や写真会社でそのような悪人の被害にあってきたので、この欄で取り上げると愚痴をこぼすことになりかねず、この話題に触れるのを避けてきた。
しかし、この話題に関心を持っておられる方が多く、岡田氏の発言以来毎日のようにこの話題に触れた記事を目にする。
これだけ目にすると当方も一言いいたくなり、可能な限り愚痴にならないようにこの問題の悪人について書いてみたい。しかし、これは弁護ではない。
まず、この類の悪人を身近で見てきた経験から悪人について解説すると、本人は悪事を働いている、という認識になっていない。少なくとも当方が見てきた人は皆そうだった。
本人は悪事を働いているという意識は無く(注)、その人の存在や発言、行動が組織なり社会に害を生み出し悪になっていることには無関心なのだ。そしてその人の行動により、どれだけ周囲が被害にあっているのかを悪人は考えていない。
組織におけるこのような人物は、上司から何らかの指導なりペナルティーを受けるべきだが、社風によっては、あるいは縦の人間関係によってはこのような悪人を組織が守るような動きになる場合がある。
ゴム会社はそのような人物を生み出さない傾向の風土なり組織だったが、FD事件では組織のリーダーに問題があり、当方はそのリーダーに高純度SiCの事業(住友金属工業とのJV)がつぶされることが無いことを確認し、転職を決断している。
すなわち、このような悪人は、本人が悪事を働いているという認識が無い。その結果、悪人と利益を共有するような人物が多い場合には、悪人と分かっていても守られることになり、法律に触れない限りその人物は悪事を続けることになる。
昨今の高額でマスクの転売をしている人もそうだが、法律に触れなければ何をやってもよいと勘違いをしている人がいる。しかし、法律に触れなくても社会なり組織に害を生み出せば悪事であり、倫理に基づく判断が大人には求められている。
自己中心的な人は、他人の痛みに気がつかないが、自己中心的でなくても科学の研究に最大価値を求める人の中には、研究の前に倫理が優先されることを知らない人もいる。
倫理が最も優先されることを知らないで、研究のために国民の健康を危険にさらすような行動をとる人物は、法律に触れなくても悪人である。
今回のPCR検査の問題ではようやく民間の検査機関が動き出したが、それでもまだうまく機能していないという。今回の問題は政治家が何らかの「正しい対策」を取らない限り、悪人の妨害を受け検査体制は円滑に機能しない。
検査体制が機能しない原因が感染研OBの行動にあってもそれを罰する法律は無い。しかしその結果正確な陽性の人数が分からなくなっているだけでなく、検査を受けられない陽性患者が感染を広げるような事態になっている。
この事態が社会的な事件であることは明らかだが、法律が無いという理由で事件は放置されているのが今の日本だ。だから感染者数も韓国よりも少ない、と思われ、専門家による現状の考察が公開されている。
(注)第三者に指摘されても独特の論理を展開し、自己の行為を正当化する。例えば、静岡県諸田県会議員は、自分の経営する会社で仕入れたマスクをオークションで販売して利益を得ていたが、これは転売ではないから悪事ではない、と発言している。現在の事態を県議の立場で考えたなら、これを悪事である、と反省する人物であってほしかった。もし、マスクをオークションではなく病院に寄付あるいは適正価格で販売していたなら、おそらく感謝されたであろう。
社会なり組織では、社会や組織が良くなるように行動するのが基本だが、悪人が放置された社会や組織では誠実に行動している人物が報われない。本来利益があがるような会社で利益が上がらず、赤字を垂れ流す事業が放置されていたり、そのような事業を企画した人物が出世するような会社がある。そのような会社では高い貢献を行っても報われない。ドラッカーが働く意味は「貢献と自己実現」と述べている所以である。
若い人はそのような悪人に遭遇しても腐ってはいけない。自らの環境を変える勇気あるいは悪人に影響されず貢献と自己実現に努力してほしい。自分の人生は自分で守る以外にない。ドラッカーが誠実と真摯を解くのは、そのように行動しておれば善良な協力者が周囲に集まってくるからである。社会なり組織から報われることを期待するのではなく、自らが社会なり組織を良くしようと生きることは気持ちの良いことで、それ相応の新しい交流が生まれる。この欄で書いている高純度SiCの成果やカオス混合プラントなどの成果は実話であり、またこれらの成果で組織から満足な報いは無いけれど新しい交流がいくつか生まれた。さらに新たな交流の中には聖人と呼びたくなるような方との関係もでき、「神様はどこかで見ている」というのは本当だろう。逆に悪人にはいつか天罰が下るのかもしれない。
カテゴリー : 一般
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