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2020.03/18 研究開発管理(3)

Y本部長の時代には、研究開発報告書をまとめることが担当者の業務となっていた。また、その中から学会発表や海外の論文発表も促された。

 

当方は、「防振ゴム用樹脂補強ゴムの研究」、「ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の研究」、「ホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体の研究」、「高防火性フェノール樹脂発泡体の研究」を3年間の研究開発活動でまとめていた。

 

ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の研究以外は、研究成果が製品に採用されている(注)。また、1年の予定を3ケ月で完成させた防振ゴム用樹脂補強ゴムの研究以外は、上司の指示で学会や論文発表をしている。

 

その結果、高分子の難燃化技術のセミナー講師として若いころから招聘されていた。初めてセミナー講師を経験したのはY本部長からの依頼である。

 

ところで入社二年目にまとめたホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の研究では、報告書以外に始末書を書いている。この始末書ではホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体の企画提案を行った。

 

しかし、Y本部長から直接それぞれの研究報告に対する評価や始末書について指示など言われたことは無く、直属の主任研究員から「本部長はこのように言われていた」という表現で「お伺い」していた。

 

始末書については、市販されていない材料で工場実験まで行った元気さを誉めておられたので当方がそれ書くのがふさわしい、と訳の分からない説明を上司から頂いている(後に研究所の同期と月給が100円差がついていたことから、それなりのマイナス評価があったことを知った)。

 

入社二年間は試用期間中で残業代はつかない、と人事部から説明を受けてはいたが、わけのわからない責任を負わされた不思議な思い出は、今でも鮮明に記憶している。

 

工場実験を決定したのも推進したのも当方ではなく、上司やY本部長である。当方は、上司である主任研究員から指示されるまま不眠不休でホスファゼンのジアミノ体を500gを2バッチ、工場試作のために一生懸命合成した。

 

2lの大きな分液ロートにエーテルと水を入れ、最後の仕上げをしている姿を見て「似合っている」と訳の分からない激励を上司はしていたにもかかわらず、この時の残業代だけでなく深夜勤手当も会社から出ていない。

 

エーテルの匂いに気がつき安全に気を配ってくれるのではないかと期待していたが、徹夜作業の危険な状態にも上司は無頓着であった。上司の指示で納期を設定されたこの実験は研究所の規程違反の仕事だった。

 

しかし、工場試作の後は会社規程に沿い、始末書を書かされたので、安全管理は適当だが研究開発の責任を問う研究開発管理が行われていたと想像される。

 

ただ、この時の工場試作は大成功であり、現場では工場長も主任研究員も喜んでいたのに、一転して始末書を書かされた出来事は、新入社員でなかったなら、その後のやる気も失せていただろうと思う。

 

(注)樹脂補強ゴムの研究以外は、すべて当方がいなければ絶対に企画されなかった研究テーマである。また、これを証明できる証拠もある。例えばホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体の企画を書いた始末書がそれである。組織メンバーの誰もなしえない研究を行い、それを製品化する成果を出しても4年後の無機材質研究所留学中に受験した昇進試験では、1回目落ちている。さらに、この時の答案が合格基準を満たしていたことは翌年の昇進試験の結果で判明している。また、リップサービスかもしれないが、短期間に組織内の誰もなしえない成果を出しても落ちる人の少ない試験で落ちるのか、と感心(?)されていた人もいた。若い人は会社の評価とはこのようなものであることを理解しておくことだ。成果主義と言っても評価をするのは人間であることを忘れてはいけない。評価に右往左往したり、さらにはそのストレスから自殺を選ぶのは愚である。性善説と性悪説が混然と存在するのが凡人の世界である。誠実に活き活きと貢献と自己実現に努めることこそ大切である。短期的視野では落ち込むような出来事でも、長い人生の中でそれを思い出すと、つまらないことに見えてくる。また、昇進が遅れたとしても日本の会社では平均よりも大きく生涯年収の差がつくわけではない。ちなみに当時昇進に1年遅れた年収の差は、高純度SiCの事業化成功で同期と大きく逆転している。転職時にこの点を多少悩んだが、ドラッカーの考え方を信じ転職を選んでいる。転職後については長くなるので別の機会に書く。とにかく30年以上のサラリーマン生活で学んだのは、誠実真摯に貢献と自己実現に努めればある程度の幸福や満足感が得られるというドラッカーの考え方である。また、人事評価にとらわれず真摯に仕事を遂行した時に、自分の能力から信じられない成果が出ることも体験している。昇進試験に落ちて実施した高純度SiCの開発や、左遷されて担当した中間転写ベルトの仕事(基盤技術0の状態の会社でカオス混合を発明しコンパウンド工場を3ケ月で立ち上げている)は、不遇でなければ成功しなかったかもしれない、とさえ思っている。いずれも悩む方向のベクトルを逆転させようと真摯に努力した結果である。

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