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2020.05/01 科学の問題

科学全盛の時代に科学の方法へ警鐘を鳴らしても関心を持ってもらえないかもしれない。しかし、科学以外の問題解決の方法があることを知っておいた方が良い。

 

そしてそのような問題解決法を科学の最前線で活躍されておられる偉い先生方は、こそっと使われて成果を出しているのだ。

 

以前山中先生のノーベル賞の事例をこの欄で紹介しているが、今世の中を騒がせているコロナウィルスを扱う感染症という学問分野でどのように問題解決しているのか、よくニュースを聞いていると面白い。

 

必ずしも科学100%と思われない言動が専門家の先生方に見られるからだ。例えばPCR検査の扱い方であったり、ウィルスの感染メカニズムの説明であったり、様々なところに非科学的と突っ込みたくなる言動が見られる。

 

不謹慎かもしれないが当方はそれを楽しんでおり、まれに科学にとらわれない思考の柔軟な先生をTVで見かけたりすると拍手を送ったりしている。

 

例えば一か月以上前だが、飛沫感染とエアロゾル感染、空気感染について区別せずみんな空気を媒介とする感染として扱え、とおっしゃっていた専門家がおられた。

 

このような用語の不適切さの問題は、材料科学分野でも存在するが、考えようによっては20世紀にどうしてそのように学会で叫ばなかったの、と突っ込みたくなった(当方はアカデミアの人間ではないが、混合則についてパーコレーションで現象理解を進めるべきだ、という提案を1980年代にしてきた。その結果フィラーを高分子に分散するときに現れる現象は、混合則ではなくパーコレーションで考察するのが一般的となった。また、酸化第二スズゾルを用いた帯電防止層の設計では、コンピューターでパーコレーション転移をシミュレーションし、添加量を極限まで減らして帯電防止層の設計に成功した。そして日本化学工業協会から賞を頂いた。)。

 

おそらく空気中をウィルスが浮遊したために感染するときに、このような3分類を考えると良いような実験結果が過去にあったに違いない。

 

しかし、そのような問題が議論されていた時に十分に科学的な視点で議論しなかったため、21世紀のコロナウィルスで混乱している今日に、そのようなことどうでもよいと叫ぶ思考の柔軟な専門家が現れたのだ。

 

しかし、この一見柔軟な先生は、科学的に現象を眺める、という視点に立つと「科学の専門家とみなすには危ない先生」かもしれない。

 

3分類で考察しなければいけない現象が過去に見つかっていたならば、それを科学的な形式知にまとめ上げるのがアカデミアの使命である。

 

例えば、一次粒子が凝集すると日本語では凝集粒子となるが、英語の論文ではこれをアグリゲートとアグロメレートとに分けて扱う。混練プロセスでは、凝集粒子という十羽ひとからげの見方では困る場合がある。

 

飛沫状態とエアロゾル状態、ウィルスが一個ずつ単独に空気中に漂っている状態では、感染力やウィルスの生命力耐久性に違いが出てくるとある文献に書いてある。こんなことは感染症の専門家ではなくてもその研究のイメージを理解できる。

 

ウィルスによっては、孤立していたほうが感染しやすいウィルスがいるかもしれない。また、孤立した時に死んでしまうウィルスもいるかもしれない。あるいはある塊を形成しなければ元気に活動できないウィルスもいるかもしれない。

 

ところが専門書を読んでもこのあたりについては書かれていない。ウィルスの大きさを考えると孤立した時には表面エネルギーは最も高くなる。一方凝集しているときには、その凝集状態により、自由エネルギーは様々に変化する。

 

科学的に現象をとらえたときに、空気を媒介とする感染を細かく区別する必要はない、と言い放っていては理解できない現象もあるだろう。

 

言葉遊びで楽しむ人も困るが、十分な仮説も立てることができず、おおざっぱに現象をとらえ喜んでいる似非科学者ほど社会にとって危険人物はいない。機能を追求する技術者ならそれは許されるが—-。

 

カテゴリー : 一般

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