2020.11/12 技術者の解放(2)
電気粘性流体の耐久性問題とは、電気粘性流体をゴム容器に封入して用いると、ゴムに添加されている多数の添加剤が電気粘性流体にブリードアウトし、それにより電気粘性流体が増粘、機能しなくなる現象である。
微粒子とオイルで処方された電気粘性流体の中にゴム薬品が微量入ってきて増粘しているので、このような問題は、ブリードアウトするゴム薬品をゴムから取り除くか、電気粘性流体に界面活性剤を添加して、ゴム薬品が混入しても増粘しないように改質するのか、解決策は二通りしかない。
ゴムの配合からゴム薬品を抜いたらゴムの耐久性だけでなく、ゴムとしての性質も変わるので、ブリードアウトするゴム薬品をすべて抜くことはできない。
ゴム会社の技術者ならば、それは経験知から常識だったが、科学者には科学的真理こそ重要となるので、技術者の常識など科学的真理の前にはばかげた知識に見えたようだ。
ここで、オイルとしてシリコーンオイルを用いているので、界面を表面処理しブリードアウトを防ぐというアイデアがあるのではないか、とか、ほかにもアイデアが、という可能性の議論は、すでに開発ステージがFS段階を過ぎ商品開発段階となっていたので除外する。
すなわち、当時の技術的な解決策は、開発ステージなどを配慮すると「耐久性問題を解決できる界面活性剤を探しだす」以外に手段は無かったので、これが正しい問題になったはずである。
ところが、電気粘性流体の担当スタッフは全員高度な訓練を積んだ科学者だったので「耐久性問題を解決できる界面活性剤は存在するのか」という問題を設定して解いていた。
そして否定証明により、そのような界面活性剤は存在しない、という科学的に満点の正解を導き出している。ゴム会社の研究所でもこの正解がとんでもない結果を導くことに気が付けないところが科学の弊害といえる。
間違った問題の正しい答えから、「ゴム薬が添加されていないゴムの配合開発」というテーマを設定したのは、日本を代表する大学を卒業した理学博士であり、頭が悪いわけではない。
科学的に正しい解答を導いた自信から、このテーマが素晴らしいアイデアだと真剣に信じていたようだ。「科学的視点から、これしか解決策は無い」と力説していた。
このような勘違いは、ゴム会社だけでなく写真会社でも見てきて、間違った問題を正しく解いて、それに気が付かない、というのは、科学という哲学の引き起こす弊害ではないかと思っている
(注:最近では理研で類似の問題が起きている。後日この事例にも触れる予定だが、科学者ばかりであるとこのような弊害に気がつけない。あるいは弊害そのものに関心を示さない。技術者があとで気がつき笑い話とする場合もあるが、科学を身につけた技術者ならば、科学的に正解であってもその間違いに、すぐに気がつくはずである。いくら科学的に正しくても経験知からおかしい、とすぐに回答を出せる技術者を目指さなくてはいけない。これは訓練で可能となる。弊社にお問い合わせください。)。
しかし、科学云々という以前に、知識の有無とか頭の良しあしとか無関係に企業の開発テーマであれば、「存在するの「か」」という東スポが新聞タイトルとしてよく用いる様な疑問符の問いを開発段階で設定してはいけない。
(東スポ的タイトルが許されるのは、調査研究段階であり、開発ステージに入ったならば、常に前進する問いの設定に心掛けなければならない。この点については後日事例を用いながら説明する)。
企業の研究開発では、仕事を前進させる問いを開発テーマとして設定すべきで、そのためには正しい問題設定のための意思決定が必要となるケースも出てくる。
正しい問いの設定ができるかどうかは開発の成否を左右する。間違った問いの正しい答えほど役に立たないばかりか、害を及ぼすことさえある。これはドラッカーの指摘していたアドバイスである。
間違った問題を設定して、修士以上の優秀な科学者が数名で1年かけて科学的に完璧な正しい答えを導き出し、技術者を目指していた当方にとんでもないテーマを依頼してきたのだ。
これはゴム会社の研究所で経験した30年以上前の実話であり、その後このテーマを成功に導く課題解決について高純度SiCの事業化とともに一人で担当した当方が転職しなければならなくなる事件が起きている(古くは小説「カラマーゾフの兄弟」のように宗教とか哲学の論争は人間の生き方、生命そのものにもリスクを生み出す。それゆえ哲学に縛られない能天気な技術者は重要である。理研では科学の弊害で自殺者が出ているが、当方は死ではなく転職を選択している。科学に命をささげるほど科学の支配をうけていない。科学という哲学よりも人間の命こそ最も重要である。生きること、地球で命を大切にすることに技術者は努力している。)。
カテゴリー : 一般
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