2021.03/11 ギターを弾く意味(3)
音楽家ではないので音楽に関して語る立場ではないが、義務教育で音楽を学んできて不思議に思ってきたことがある。
絵画なり彫刻なり美術については、小さい子供の絵がそうであるように下手は下手なりの何か味があり、一応鑑賞の対象になる。
しかし、音楽については、下手な演奏や歌唱は鑑賞の対象にできないどころか、それを聴くことが精神衛生上も悪い。
カラオケでは、アルコールが入っているので多少の雑音でも我慢できるが、日々の生活の中で下手な歌を聴かされたのでは騒音公害以外の何物でもない。
芸術という同じカテゴリーでも絵画や彫刻では鑑賞者に自由があるが、音楽はその場から逃げ出さない限り解放されない。
カラオケを大好きな人が多いことから想像できるように、歌の下手さに無頓着な人は多いが、楽器演奏では細かなミスでも自分で気づくことができる。
そのため、音楽という芸術を鑑賞するために何か楽器を弾くことができるとその鑑賞眼の視野が広がるのではないかと思っている。
例えば禁じられた遊びは、ギターソロ演奏として中級レベルの曲だそうだが、それを村治佳織が弾いている価値というものを今回1曲CDの音に合わせてみて深く理解できた。
上手とか下手とかいう尺度ではなく、演奏者のこまかい表現というものは、なかなかわかりにくい。
そこを感覚ではなく知的に理解するために何度も鑑賞すればよいのだが、限られた人生の時間の範囲では、鑑賞耳をきたえたほうが早い。楽器の演奏練習は音楽の鑑賞力を高めることができると思って努力している。
カテゴリー : 一般
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