2021.03/17 DTM
バブルがはじけた頃、MIDI規格の音源が流行し、コンピューターによる音楽制作DTMが脚光を浴びた。また、MIDI音源をならすソフトも多数販売された。
しかし、最近この話題を聞かないし、書店をのぞいても20年以上前にあれだけ多数の雑誌が発刊されていたのが、1冊も見当たらない。
当方はYAMAHAとROLAND、KORGのそれぞれの音源を購入したが、MIDI規格があってもそれぞれ少しずつ音色が異なっていることに驚いた。
3年ほどこうした音源で音楽を聴いたり、またカラオケを楽しんだりしていたが、その音に飽きがきた。
理由はわからないが、電子音のメロディーは正確な振動数で演奏されているはずで、さらに、いつ聞いても同じでミスもないはずなのだが、何か物足らないのである。
電子音と言っても人が演奏するエレキギターやエレキピアノとMIDIのプログラム演奏はどこか異なるように聴こえてくる。どうもこのあたりがDTMの衰退原因ではないか。
2年ほど前に、AIに美空ひばりの歌を歌わせるプロジェクトが紹介され、その後NHKで何度も放送されたが、結局一音一音美空ひばりの肉声を解析しAIに学ばせていた。
これでは、人間がプログラミングしていたのと同じ作業だ。また、AI経由なので人間だけの作業より手間がかかっている。
それでもAIの成果として発表していたのはいかがなものか。知に形式知や経験知、暗黙知があるように、人間の歌には、機械的な規則正しい発声以外の発声法が入る。
声楽家と称する人たちの歌が形式知のようなものとすれば、美空ひばりなどの演歌歌手の歌は、経験知や暗黙知のなせる業の成果とみなせる。
最近のコンピューターミュージックについて調べてみたら、以前のようなキーボードからの打ち込みではなく、自分で演奏した音サンプルを加工しそれを他の音サンプルとミックスしたりするソフトが出ている。
すなわち、単なる形式知の成果と思われる音源だけでなく、自分の演奏をサンプリングし、それらを組み合わせて音楽制作をしているようだ。
音楽が形式知と経験知、暗黙知を動員して作られている時代に、技術開発を科学の形式知だけで行おうとするスタイルは、もう終わりにしたい。技術は音楽同様に人の営みである。
カテゴリー : 一般
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