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2021.04/15 自然現象の捉え方(1)

音楽という芸術は、自然現象に存在する「音を楽しむ」ために生まれたのかもしれない。友人との音楽談義から音楽、そしてそれを表現する道具としての楽器について興味がわき、少し調べはじめた。その結果が今週の活動報告の状態である。

 

 

まだ調査を始めたばかりだが、バッハの平均律の発明がニュートンと同時代であったり、ギターが未だ発展途上の楽器であることに気がついたり、新鮮な驚きがある。

 

 

音楽については小学校から習ってきたが、学校で習った知識は何だったのだろう、というのが正直な感想だ。子供の頃、近所に歌の上手な女の子がいてその子との比較から自分には歌唱力が無いと思い歌うことについて諦めていた。

 

 

50歳過ぎてから仕事の都合で一時通うことになった中国カラオケで歌う楽しさを味わい、意外にも歌唱力がそれなりにあったことに気がつきびっくりした。この経験から能力とは自分で制約を設けるべきではないという学びがあった。

 

 

この学びも調査を始めたばかりでありながら、結論に影響を与えている。すなわち、音楽も技術同様に人間の営みの中で発展しており、義務教育で学ぶ音楽の形式知はその一面をとらえたものに過ぎない、という結論である。

 

 

現代の技術開発における科学の功罪をライフワークの一つにして日々考えているが、科学と言う哲学が技術の急速な発展に寄与はしたが、技術における人間の営みとしてのダイナミックな側面を見えにくくした問題は21世紀改めて技術開発を加速するために認識したほうが良いと思っている。

 

 

このような視点に立ったときに、学校教育で音楽の形式知を教えてはいるが、それを真面目に勉強して忠実に継承している人は、きわめてわずかであるという幸運が、現代音楽の様々な発展を支えていると思う。

 

 

すなわち、技術の分野では、科学の形式知を重視している人が大半であるが、音楽の世界では、このような一つの哲学による(ものの見方、考え方)形式知を信奉して活動している人は稀であり、大半は経験知や暗黙知を頼りに音楽活動を行っている。

 

 

例えばギタリストの多くは我流でギタープレーを行っているらしい。それに対し演奏人口が少ない楽器、例えばバイオリンについては形式知に基づくメソッドで学んでいる人が多い、と聞く。チェロを弾くのに友人はわざわざ音大の女性講師に習っているように、である。

 

 

音楽の発表会を目指すわけでもなく個人で楽器を弾く程度ならば、大抵の楽器について教則本が存在するので独習も可能である。しかし、クラシック系の音楽では先生の指導を受ける習慣があるようだ。それでも街にあふれている音楽の多くは、ギターが使われ、その演奏者はネット情報によれば独学が多いという。

カテゴリー : 一般

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