2021.04/29 エコライフ
昨日のあさイチで廃プラ問題を扱っていた。日本人一人当たり年間30kg以上のプラごみを廃棄しているらしい。このプラごみは、海洋投棄されると50年以上たっても分解されず、そのまま海をさまよっているとのこと。
さて、そこでプラごみを少なくする生活とは、ということで、各国の取り組みなどが紹介されたが、全体の印象として当方の小学生(低学年)の経験と重なることが多いのにびっくりした。
昔、豆腐や生魚などは近所の豆腐屋なり魚屋へ鍋を持って買いに行った思い出がある。あるいは、近所の八百屋は、古新聞で作成した袋を持ってゆくと、10枚1円で購入してくれた。アンパン1個15円の時代であり、50枚袋を持ってゆけば、アンパンが10円で購入できることになる。10円は当時の子供の1日の平均的お小遣いの額だった。
古新聞半ページで袋を一つ作成する作業は子供でも簡単にできる作業であり、少し頑張れば、100枚ぐらいは1時間もあればできてしまった。包装容器にプラスチックなど高価なものは使われていなかった。名古屋市立科学館では射出成型機が見世物になっていた時代である。
振り返れば、当方の子供時代はプラ容器とは無縁の時代を過ごしていた。醤油や食酢などは一升瓶を持っていって購入する量り売りだった。また、洗剤の類は皆固形だった。容器は紙かブリキ、陶器、ガラスなどで作られていた。
さらに夏になれば殺虫剤が町内で配布されたが、それは町内会長のお宅へ何か空瓶を持って行って詰めてもらっていた記憶がある。それをブリキ製の噴霧器に水で希釈して入れて庭に噴霧していた。
サプライチェーンもこの時代は町内会が機能しており、容器が無ければ町内の誰かが適当な余った容器を使いまわすといった生活だった。環境問題とりわけプラごみ問題は昭和時代を振り返ると面白いアイデアが出てくるかもしれない。温故知新戦略で環境問題を解決できる!
カテゴリー : 一般
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