2021.05/10 科学と技術と音楽と(1)
科学がいつ誕生したのかは、マッハ力学史その他で述べられているが、ニュートンは科学誕生直前の学者という位置づけである。その同じ時代にバッハが生きている。当方はこのコロナ禍でわけあって音楽について勉強しなおしている。
小中学校時代にそれなりにクラシックについて学んだはずだが、特にクラシックに興味があったわけではないので、テストが終わったとたんに頭からそれらの情報が揮発した。このとき知識になっておれば、今勉強しなおす手間はかからなかったはずだが、改めて音楽を聴きなおしている。
これまで関心のなかったクラシックであるが、「ツアラストラはかく語りき」は、改めて聴いてみると、本当に語りかけられているような気分になるので不思議である。学生時代にクラシック好きの同級生から勧められて大学生協で買ったのだが、当時1-2度聞いただけでこの年になるまで購入したことも忘れていた。
学生時代からブルースやジャズばかり聞いてきたので、新鮮な気分を味わうことができた。このレコードについて、クラシックが趣味の人たち特有の蘊蓄は語れないが、この感動だけは何とか伝えたいと思った。その結果本日の表題となった。
ベートーベンの「運命」は出だしがすべてを要約したような交響曲だが、この「ツアラストラーー」も同じである。レコードに針を乗せたとたんに哲学が始まる。科学という哲学の不満点がたたき出されてくるイメージである。
ニュートン力学の体系も立派な形式知として高校で学ぶが、ニュートンの思考実験は科学ではないとマッハは語っている。素粒子物理学ではアインシュタインの形式知が展開されるが、大学でその事情を教えられることはなかった。自分で学ばなければいけない難儀な作業となった。
少しかじって、ニュートンとアインシュタインとは現象を眺めるときの物差しが違っていただけであることが見えてきた。このように書くと物理学の専門家に叱られるかもしれないが、厳密な体系に見える物理学も化学同様に怪しい世界がある。
素粒子論の詳細などおよそ理解しようとは思わないが、ニュートン力学とアインシュタインの相対性理論とのつながりは科学的に説明がつくのだろうか。素粒子論を科学的に展開してきた結果、新たな尺度で物理学の体系を再度構築しなければいけない状況になったらおもしろい。
ニュートン力学と相対性理論との関係が物差しの違いとして考え出されたのなら、素粒子の素が明らかにされそうな時代に新しい理論がうまれそうな気がする。
宇宙だってビッグバンが最初と考えなければいけないのは科学の視点からである。すべてが爆発した状態から始まっていてもおかしくない。「ツアラストラーーー」を聴きながら、くだらない妄想が膨らんできた。
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