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2021.05/11 科学と技術と音楽と(2)

20世紀に科学のおかげで技術は急速な進歩を遂げた。しかし、最近ベセラゴに予言された負の誘電率が議論され始めたように科学の見直しが一部で始まっている。また、材料の世界ではマテリアルインフォマティクスなる怪しげな科学が展開され始めた。

科学と非科学の境界は時代により変化する、と言われているが、一部のアカデミアはこっそりと科学の見直しを始めた。これを大きな声で言わないのは、言ったとたんに信用を失うからかもしれない。

当方は学位こそ取得したが、科学者ではなく技術者を名乗ってきた。音楽にクラシックとその他の音楽があるように、現象を眺めそれを理解する方法が科学だけ(注)、と言うのは奇妙な話である。

技術には技術としての視点があってもよい。ちょうどクラシック音楽が五線譜を中心に展開し、その関係者は楽譜を読める能力が前提となっているが、その他の音楽では楽譜など読めなくても立派に音楽家として生きている人たちがいる。

千昌夫に失礼かもしれないが、彼は楽譜を読めない、と昔ジョーン・シェパードが「題名のない音楽会」で語っていた。彼女はアメリカで有名なジャズシンガーグループのメンバーであり、ある程度は楽譜を読めると謙遜気味に話していた。

そのジャズであるが、あるトランペット奏者と、当時名古屋市新栄にあったココで偶然お話しする機会に恵まれた。その時彼は、楽譜など読めないと語っていた。酒の上の冗談かもしれないと思うので、千昌夫ほどの著名人ではないという理由で名前を伏せている。

ただ、クラシック以外の音楽関係者に楽譜という形式知が絶対的なモノではないことに注目していただきたい。ところが現代の技術者に対して、科学の形式知が絶対的な存在であり、科学の形式知が乏しい技術者がいくら成果を出しても職人と軽蔑して評価査定を低くつける企業もある。

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当方は職人と呼ばれる人でも独自の工夫で成果を出せば評価点を与えたが、それが難儀な作業だったことを覚えている。そのくらい科学の形式知を絶対視する企業もあるのだ。もう少し音楽の世界のように科学の形式知に対して柔軟であっても良いと思う。科学がなくてもモノ造りが成された過去の歴史がある。

(注)田口玄一先生は、機能の研究を勧めている。現象を眺めるときに「何故」と疑問を持つのは科学の芽生えと言われてきたが、この「何故」という疑問に機能に対する関心も含まれているはずだが、機能を忘れ解析や分析にうつつを抜かす技術者を田口先生は諫めていた。現象から機能を取り出すのが技術者の仕事であって、否定証明は技術者の仕事ではない。

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