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2021.05/12 科学と技術と音楽と(3)

千昌夫はバブルの時期に歌手をやめて不動産業者を名乗っていた。あるトーク番組では、歌う不動産王と紹介されたぐらいなので、歌手ではなくバブルの時に不動産業者だったのだろう。

額中央のほくろも当時無くなっていた。今も無いのでほくろを手術で取ったのかもしれないが、今は不動産業者としてよりもTVで歌を歌っている姿をよく見る。彼にとって不動産業も歌を歌うことも人生の営みの一つなのだろう。

これを器用という表現にしてしまうと技術とのつながりが無くなるが、生活の糧とか生きる営みとして不動産業者になったり歌手になったりしている、と捉えると、セラミックスで学位を取得した材料技術者が高分子材料分野でカオス混合機を発明したとしても不思議ではない。

当方にとってカオス混合機は生活の糧(?)のようなものだった。早期退職前に大きな成果を出せば退職金が増えるのではないかと期待したのだが、規程に沿った額しかもらえずがっかりした。中間転写ベルトの開発成果や再生PET樹脂の開発成果でかなりの利益が出たはずであるが。

話がそれたが、千昌夫はバブルがはじけて歌手としてまた歌い始めた。この彼の姿を節操がない見本として見てはいけない。誰でも生きていくことに必死なのだ。そこでベストを尽くそうとしている姿を学ばなければいけない。

不動産業で失敗したから歌手に戻った、という見方では、彼に失礼なだけでなく、彼の姿勢からの学びも無くなる。若い時のような声量が無くなっても、必死で自分の持ち歌を歌っている姿には感動すら覚える時がある。ボイストレーニングなどかなりの努力をしたに違いない。

もし、技術者が大学で学んだ専門にとらわれて生きているとしたら、それは大変もったいないことである。企業の製造現場では、品質という視点で現象を眺める。これは科学の視点とは異なっていることに気がついていただきたい。そこでは機能に視点が向いているはずだ。

カテゴリー : 一般

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