2021.06/18 ノリ
クラシックファンは、形式知を重んじる科学のような楽しみ方で音楽を聴いているようだが、クラシックファンから見ると野卑な音楽に聴こえる分野(例えばポップスやロック、ジャズその他演歌など)の音楽ファンは、ノリがよければそれでよい、という気楽な楽しみ方で音楽を聞いている、と思う。
例えばどれを聞いても同じようなコード進行に聴こえてしまう演歌でも、詩の内容に入っていけるかどうかが、すなわち詩の世界にノレれば十分にその歌を楽しむことができる。
石川さゆりの天城越えのような非日常の世界に松本清張を知らなくても入ることができるのは歌唱力によるところが大きいと思っている。無理やり詩の世界に引きずり込まれるような歌唱力がある。35年前聞いたときには歌いだしの流し目をみただけでその世界感に落ちた。とても20代に思えない演歌の歌唱力だった。
ジャズではノリをグル-ブ感と言ったりするが、昔は年寄りでもノリやすかったスイングが主流だったが、今はスピードアップし、その速度についていけずノレない曲も出てきた。リーリトナーが限界である。
これより早くなると息切れしたりする。だからアップテンポのロックは雑音以外の何物でもない。ロックならばシカゴやボンジョビまでである。年寄りは無理をしてこのような音楽を聴くより、クラシックを聴いて眠りに入ったほうが良いのかもしれない。
渡辺貞夫のファンが多いのは、昔のスイングからフュージョンまでリズムの幅が広いだけでなく、メロディーラインの美しさもあり、クラシックファンでも聴きたくなる曲があるからだろう。童謡のような懐かしいメロディーもある。多くの曲がノリ易いテンポである。
当方の好きな音楽をここで論じるつもりは無くて、ノリという感覚の重要性伝えたかった。最近マテリアルインフォマティクスという分野がにぎわっているが、あれをAIでやってしまうのは面白くなくて、人間の頭で大量のデータにうまくノル方法を伝授したい。
その方法とは、多変量解析を用いて手動でデータを操作しながら解析を進めるのだ。但しデータの捏造をするのではない。例えば主成分分析を用いた場合ならば、第一主成分と第二主成分における分布を見る以外に、他の象限のデータにおける分布の眺めるのである。
ここでノリが大切で、思いつくまま主成分の軸を変えながらデータの動きを見るのだ。データ群の変化にうまくノルことができると思わぬ発見がある(悩んでいた問題にヒューリスティックな解が得られる)。
30年以上前、電気粘性流体の耐久性改良問題を主成分分析で解決したが、当時はPC9801程度の能力のコンピュータでもうまくノルことができて、一晩で結論を出すことができた。
逆にうまくノレナイ時でもノレナイ理由を考えてゆくと、それなりの発見がある。PPSの金属音が心地よく鳴り響く中間転写ベルトの押出成形の現場を事例に説明する。現場には、そのシーンだけでなく音にも多数の情報が含まれている。
それまでキンキンと高音の心地よくない音にもかかわらずリズミカルに流れてノッていたのに、突然バスドラムの不規則なリズムが鳴りだした。それは、まったく不規則でうまくノレない。この瞬間にカオス混合のアイデアが閃いている。
科学では論理が重要であるが、日々の営みの中で進められる技術開発では、このようなノリも重要である。うまくリズムにノレないならば、それはそれで新たな機能の発見につながったりするので、現場と生データを大切に扱いたい。
勘で研究開発をやるな、と昔よく言われたが、今でもヤマカンはあまりあてにならないが、「感覚」は技術開発で重要である。すなわち暗黙知の部分だからである。情報にうまくノリながらそこから新たなデータを見出すのは暗黙知が刺激されるからである。
多変量解析は、それまでの積み上げられたデータにより経験知や形式知まで刺激できる。アカデミアでマテリアルインフォマティクスが流行りだしたのは、偏った科学の見方で現象に潜む新しさを見つけにくくなったからである。
若手将棋指しがコンピュータ将棋に熱中するのをヒントにAIを使いだしたのかもしれないが、まだ人間の頭でも技術の視点に立てば新しい機能を自然現象の中に見出すことができる。ボケていない。若手研究者には到底追いつけない経験知と暗黙知が年寄りには備わっている。
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