2021.07/17 小山田圭吾問題
日本には反社会的行為でも被害者が訴えなければ犯罪とならないルールがある。当方の会社内でFDを壊され業務妨害された事件もそうであるが、被害者が訴えない理由を考えなければならない。また、このルールゆえに隠蔽化される可能性が高い時に、被害者はしばしば自死を選び、その死でもって事件の事実を社会に訴えたりする。
例えば、財務省の問題や、STAP細胞における研究所建物内の自死、電通の新入社員の自死、トヨタ自動車におけるパワハラの自死、そして6月にはJOC経理部長の不審死など最近の事例だけでも多い。しかし、これらの自死まで至る事件でも遺族が訴えなければ、事件にならないのである。
STAP細胞における研究者の自死では、他の研究者の著書から研究所内で何が起きていたかが書かれており、書かれた内容が事実であれば、明らかな犯罪行為も存在している。著書の内容から証拠を裁判所に提出できそうな事件もあるが、著者ならびに配偶者がそれをしないのもその気持ちを考慮すると当方は同類の被害者としてうなずくことができる。
当方も当方の残した住友金属工業とのJVの仕事を発展させて30年も事業を継続された方々の存在を考えるとこれを裁判所まで訴えるという気持ちには至らなかった。ただし、当方が退職してから始められた仕事、とか当方ではない人物が「私が発明した研究です」と名乗り出られたなら、当方の転職理由を公にしないわけにはいかなくなった。
すなわち、今の日本は、それを信じたくないと思っても、黙って我慢していては悪がのさばる世界のようである。当方の研究をあたかも当方が転職してからなされたようなことを学会賞に提出した証拠や、当方の研究に全く携わっていなかったのにトップネームで自分の研究のように書かれた論文が存在し、これらの醜い行為の証明をすることが可能である。
そもそも人間社会の欲望の醜さについて芥川龍之介はじめ多くの小説家がフィクションとして表現しているが、小山田圭吾の犯した罪は、たとえそれが訴えられていないあるいは学生時代と言えども謝罪だけで許されるような行為ではない。さらにそれを社会人になってから自慢するに至っては、正気ではない。
その内容が公開された時に当方はあまりにもおぞましいいゆえに信ぴょう性について記事を疑ったが、先日本人はそれらすべてを認め謝罪したのである(注)。
オリンピックが1週間後ということもあり、関係者がみそぎのために謝罪させたのだろうと思われるが、その内容が謝罪だけで許される問題と考えている組織委員会もおかしい。
また、当方は知らなかったが、WEBで調べると過去にも同じ問題で小山田氏は訴えられており、事前に問題を関係者は知っていた可能性が高く、過去の問題だからと甘く考えていたようだ。
オリンピックとは、例え完璧な遂行が難しいとはいえ人間の理想を追求して開催された時に、始めて誰もが納得する感動的ですばらしい大会になるのだ。
最近JOC会長の過去の行動が記事として取り上げられ、「世界の山下」の評判がガタ落ちだが、ここは国民栄誉賞に恥じない勇気を示してほしい。
もし、このまま何ごとも無かったように東京オリンピックで彼の作品が使われるようであれば、単に国民不在のオリンピックと言うだけでなく、それこそオリンピック貴族を満足させるための開催だった、という汚点を歴史に残すことになる。
プログラムが完璧に遂行されたオリンピックと最後まで理想を追求しようと努力した痕跡の残る不完全なオリンピックとどちらが感動を歴史に刻むのだろうか。東京の感染者がこのまま増え続けた場合の判断も同様である。
これは、国民の多くが反対しているにもかかわらず遂行する日本政府にも責任の一端があり、あくまでも開催する大義を求めるならば、理想を追求してこそ日本国家の政府である。
(注)武藤事務総長の無責任な「知らなかった発言」が昨日なされたが、2019年にも大問題となっていた男である。誰にも知られなければ、あるいは被害者が声を上げなければ犯罪ではない、という論理を武藤事務総長は公言したのである。作曲者として決まった時に、WEBで氏名をいれて確認すれば、何が問題か分かったことである。世界から「およそオリンピックにふさわしくない人間であると知ってて採用した」、と言われても仕方がない状況である。但し、五輪関係者はじめ政府の方々が小山田圭吾と同様の悪である、すなわち同じ穴のムジナであれば、今回の武藤事務総長の発言を理解できる。サブカルチャーの世界を十分に理解していないととんでもない恥をかく。時間が無くても対応すべき問題である。おそらくさらなる爆弾ニュースがオリンピック開催までに爆発する可能性がある。
*本件、19日夕方に小山田氏の辞任が発表された。
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