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2021.07/24 ポストコロナ禍

冗談ではなく緊急事態宣言下でオリンピックは昨夜開会式が行われた。オリンピックとは何か、といった議論はさておき、様々な問題を抱えたオリンピックは、昨年に中止宣言をすべきだったところを延期とした決定で、すべてのドラマが始まったように思う。


「いだてん」は低視聴率におわったが、東京オリンピック2020は、開催について国を2分するほどの議論となり、大多数の国民が反対する中で東京オリンピックは開催された。国民の関心を集めたことだけは確実である。


興味深いのは開催直前の国内の動き。天皇陛下は感染拡大の心配をされたにもかかわらず、政府は宮内庁の私見として軽く扱った。それに対して与野党ともに憲法違反の心配をしている。天皇陛下は開催の是非には言及したわけではなく、国民の象徴として国民の心配の声を述べられたわけである。


象徴天皇と政府との関係の変節をここに見ただけでなく、政権担当者の傲慢とも思われる姿勢に驚いた国民もいるかもしれない。当方は少なからず驚いた。その天皇陛下は、開会式にお一人でご出席されるとともに定型文の開会式宣言で「お祝い」の部分を「記念」とされ、国民の意見を最大限反映される、まさに象徴天皇としてのお仕事をされた。


残念ながら当方はすでに夢の中にいて今朝のニュースで知ったのだが、日本の天皇制が重要なシステムであることを気づかされた出来事である。


また、トヨタ自動車はじめトップスポンサーや経済界の重鎮は、事前に開会式への出席辞退を表明していた。スポンサーや経済界はステークホールダーである国民の声を天皇陛下同様に尊重したのである。


インターネットの普及は、名もなき人の声を社会に届ける機能を果たしている。そしてコロナ禍となって気がついたのは、日本では「オレコロナ事件」にみられるように、感染者の暴走を法律で取り締まることができない現実である。また東京オリンピックのドタバタ劇は、多額の血税が投入された国家の行事さえも適当に運営されている有様である。


コロナ禍の東京オリンピックで日本人は現在の日本が抱える正しい問題を見出したのではないか。ポストコロナ禍では、コロナ禍で影が薄くなった環境問題やエネルギー問題はじめ様々な国家で取り組まなければいけない問題が2年前と異なる姿で登場する。


すでに原子力が電気料金最安値のエネルギーではなくなった、との真実の声が出始めている。国体なるものを意識したことは無かったが、言われ続けた「戦後レジュームの終焉」が本当に「終わる」のかもしれない。日本人一人一人が意思決定し、その行動の責任まで負わなければならない国に変わるのだろう。


また、30年ほど前にオリンピックや万博、テーマパークなどのイベント事業で儲けるビジネスが日本の経済の主役になる、と言われ、観光立国日本まで事業展開されたが、これも大きく見直さなければいけないだろう。冷静に考えてみても、第一次産業と第二次産業が無くなった国家の姿を考える事はできない。


また、カーボンニュートラルの観点では第二次産業と第一次産業のバランスを取ることでも実現可能であり、今後第二次産業の各企業で第一次産業の見直しが始まるのかもしれない。

カテゴリー : 一般

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