2021.10/01 映画「卒業」のラストシーン
1968年に日本で公開された映画「卒業」は、当時の社会風俗を考慮するとR指定になっても良いような映画だと思いながら興味本位で見ていた。二本立てで再演された時にその映画を見て、様々なメッセージがその映画に込められていることに気がつき、数回映画館に通った。
モラトリアムの若者像、プラスチック産業の隆盛、不倫を超えた自由恋愛などサイモンとガーファンクルの音楽(注)に支えられながら、美しく描かれていた。
ただ理解できなかったのは、CMにも使われたラストシーン、教会の窓から花嫁を呼び、十字架で大人たちをなぎ倒してその場から連れ去ろうとしたベンジャミンの行動に共感した花嫁の心理である。
古いモラルを破壊し、新しい自分たちの生活をスタートする若者の象徴と説明されても、かつてモラトリアムで、自分の母親ともベッドを共にしたボーイフレンドに、未来を約束された幸せな結婚をすてて将来を託す、このような女性の決断をどうしても理解できなかった。
ちょんまげ姿で先日空港に現れた男性をマスコミが追いかけているシーンを見て、映画「卒業」を思い出した。ベンジャミンは、彼のような男性として描かれていなかったが、真子内親王の心理を理解できない点では同じである。
ベンジャミンは、過去の自分から決別しようと必死で努力し、すなわちエレーンを求めて真っ赤なスポーツカーを捨てて自分の足で走り教会にたどり着いている。その努力にエレーンが感動して彼についていこうと決心した、という説明を読んでみても女性心理の理解は進まない。
しかし、結婚式場で置き去りとなった新郎に対するエレーンの気持ちを解説している映画評論が皆無であることから、エレーンとベンジャミンが幸せになれればそれでよい、という映画として思考を止めることはできた。
映画は上映時間を終えればそれでおしまい、で済むかもしれないが、今回のご結婚はそのあとに多くの問題を日本社会に残すことになる。お世継ぎ問題だけでなく今後の象徴天皇ご家族のありようまで考えなければいけない。
(注)音楽監督は、その後フュージョンとかクロスオーバーと騒がれるジャンルの旗手、デーブ・グルーシン。サイモンとガーファンクル以外に彼のジャズもフューチャーされ、音楽鑑賞もできた映画だった。
カテゴリー : 一般
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