2022.01/29 大学院へ進む若者へ
文科省が社会人教育に力を入れ始めた。ネットサーフィンをしていたらW大学で某企業フェローが大学院の学生に向けて送ったメッセージを見つけた。
そのフェローは、その内容から自己の人生には満足しながらも、一方でそれを覆い隠して後悔しているかのような不誠実な語り口であったようだ。
その内容は学生にためになることを話しているようでも、「博士の学位は企業で何の役にも立たない」とか、企業では、「専門能力が秀でていること」よりも、「皆ができることを普通にできる人が良い」とか、誤った組織論を展開していた。
一方で、「ビジョンを持った社会人になってほしい」と当たり前に良いことを発しながらも、「フェローまで昇進した自分は、そのような人生を送ってこなかった反省がある」と、聞きようによっては皮肉になるようなことを語っている。
この人物の公開されたメッセージメモを読むとドラッカーがいうところの誠実とは何か、ということを理解するのに役立つ。なぜなら、部分を見ると誠実そうに語っているようで全体が不誠実なメッセージだからだ。
ところで、このフェローの語った「博士の学位が企業で価値がない」という説だが、これは誤った認識である。「学位を持っていてもそれにふさわしい働きをしなければ、学位をその人物の価値の尺度として評価しない」というのが正しい。
これは、肩書だけあっても実力が無ければ評価されない時代だからである。また、ドラッカーは「頭の良い人が、間違った問題を正しく解いて成果を出せない」組織における悩ましい専門家の存在を指摘している。
大学院まで進学し、高度な教育を受けたならば、それを肩書だけで終わらせるのか、それを組織なり社会で役立てることができるのかどうかは、その個人の努力の問題である。
このフェローは自分の博士という肩書にふさわしい専門性を組織で生かせなかった、と後悔している。そのかわり、運よく組織を泳ぎ切りフェローまで昇進できた満足感を学生に語っている。
ちなみに、当方はゴム会社で博士の学位を取得する機会を設けていただき、転職してもゴム会社およびその関係者のご尽力で学位を取得することができた。もし、企業が博士の学位に意味を見出していないならば従業員に学位取得を促したりしない。
上司の方々に感謝と敬意を表すために、学位を取得してからは学位にふさわしい仕事を目指し、学会活動を転職した写真会社でも積極的に行ってきた。
転職した会社では、単身赴任するまで高分子同友会や日本化学会産学連携懇話会の窓口担当の職に就いている。学位を組織で生かす努力をして、日本化学工業協会や写真学会から賞を頂けたような、学位にふさわしい成果も出してきた。
ただ、成果にふさわしい昇進ができたかと問われると言葉が無いが、その原因が「皆が普通にできること」をできなかった、とは思っていない。
むしろ皆ができない過重労働でもそれが必要ならば、部下にやらせず当方が行ってきた。会社が成長する方向を提案し続け、そのように仕事をした結果である。毎年届く特許報償の通知の封筒が今年も届いた。
組織における昇進は運が大きく左右すると若い人には自信をもって伝えたい。当方の退職日には東日本大震災で退職祝いのパーティーまで吹っ飛び最後まで運が悪かった。しかし、何とか部長までは昇進できたのは、今も継続している多くの学びの結果だろう。
社会に出ても学ぶ努力は大切で、その時学位は学ぶ機会を増やしてくれる。少なくとも社会は高学歴の人にその活躍を期待しているのだ。期待外れとならないように学位にふさわしい知のポテンシャルを維持し高めてゆく日々の努力が大切だ。
学位は高度な学びのスタート地点に立っている証明書ととらえるとよい。スタート地点のままならば評価されないのは当たり前で、その時学位に価値が無いと感じるのだろう。
学位を取得したならば、そこを起点として社会に還元しながら学ぶ努力が求められている。誰でも学位を取得できるわけではないのだ。
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