2022.02/06 両面(2)
朝のドイツ語学習よりも卒業研究は、厳しかった。卒業研究は、シクラメンの香りの全合成だったが、日々の実験は、指導してくださっていた助手の方の研究用の原料を合成することが任務だった。
予定量合成されていなければ、厳しい声で名前が呼ばれた。ただ、言われた量の合成ができておれば、空き時間に好きな実験ができたので当方にとって問題は無かった。
しかし、周囲からは学生を奴隷のように使って原材料合成させている、という噂が進級前からあった。また、廊下まで響く叱責の声で厳しい講座と言う噂もあった。
当方にとっては、叱責よりも具体的な指示が原料合成だけであり、その他の進捗の問いが無いことが厳しかった。卒論をまとめることができるのかどうか、という不安があった。講座の先輩からは言われたことだけしっかりやれ、と激励されるだけだった。
ゆえに見よう見まねでシクラメンの香り成分の合成経路探索実験を勝手に始めた。しかし叱られることは無かった。実験がうまくいって、シクラメンの香りが漂ったら、厳しい呼び声が無くなった。
今から思い出しても1年間、名前を呼ばれた記憶しかない。厳しく呼ばれるのか優しく呼ばれるのか、どちらかだった。名前の呼ばれ方で、卒業研究の進捗を判断しなければいけなかった。
これをひどい指導と評価するのか、自主性を重んじた指導と評価するのか微妙であるが、自主性が育った実感はあった。学生と言う身分で悩みにならなかったのだろう。
卒業研究論文の受付も乱暴な扱いだった。締め切り直前に50報もの論文を渡されたのである。しかし、不思議にも徹夜して、今見ても立派なコピペなど無い学位論文並みの卒業論文を仕上げることができていた。
昨今のアカハラの記事を読むと、記事よりもひどい一年間だった、と思い出せなくもない。しかし、大学4年間で能力が最も向上した1年間であったことだけは確かである。
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