2022.02/13 才能を磨く生き方
故ドラッカー(以下ドラッカー)は、自己の強みを見出し、それを磨けと語っている。彼は資本主義の終焉を予言し知識労働者の到来でマネジメントがどのように変わらなければいけないのか、多数の書籍で説明している。
スポーツでは強みが分かり易い。子供の頃にそれが見出されると英才教育を受けれる環境が先進国では整っている。しかし、スポーツ以外の領域では義務教育の間に自分でそれを見出さなければいけない。
ドラッカーは優秀な人がしばしば間違った問題を解き、成果をあげられないことを嘆いていた。すなわち、マネジメントはスキルなのでそれを学び身につけない限り、成果を出すことが難しい、と説いていた(注)。
おそらく欧米ではこのドラッカーの考え方が定着しており、経営者の多くはその事業分野で強みを持っている、と認められている人が多い。
日本ではどうか。日本の経営者でその事業分野の強みを指摘できる人が少ないように思う。また、マネジメントを才能の一つのように誤解している人が多い。
マネジメント能力はスキルを身に着けて育成されるもので才能ではない。それを学び磨かない限り、能力として身についてゆかないのだ。
一方人は何らかの強みを持っていると言われている。強みが無いと思っている人はそれを考えずに生きてきた人かもしれない。
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自分の強みを見出し、それを磨き続けることは難しい。スポーツでは肉体年齢が存在し、知識労働者では加齢による認知の問題が困難を増大化する。
羽生善治九段が順位戦A級から陥落したという。相撲界の横綱は負け越す前に自ら引退するので、羽生氏の今後が注目されている。
このような強みを磨き続ける困難があってもその壁を乗り越えようと努力する人たちが、サッカー三浦選手のように取り上げられたりする。
技術者と言う職業に年齢制限はない。歴史を眺めても死ぬまで技術者を続けていたと思われる人がいる。マネジメントは学び身につければ誰でも能力を発揮できるが、企業で定年まで成果を出し続けた技術者は、他に代えがたい何らかの強みを持っているはずだ。
バブル崩壊後、ベビーブーム世代の大量退職者が続いた。このとき属人的技術が失われた企業が多数あるのではないか。当方は早期退職時引き留められてリサイクルPETボトルを環境対応樹脂へ応用する技術を開発したが、その時2011年3月11日を最終出社日にして業務を遂行している。
退職のお祝いも挨拶もすべてできなかったおかげで、退職気分を味わうことなく現在まで現役のつもりで、強みを磨く生活を続けている。しかし、退職した会社の特許を読む限り、当方の残した技術はこの10年で失われたようだ。
技術は科学と異なり、経験知や暗黙知もその対象となるのでどうしても属人的要素が出てくる。ここに気がつくかどうかでマネジメントは影響を受ける。マネジメントはスキルであるが、成果は属人的強みに左右される。
(注)日本でバブル崩壊後失われた10年が20年となり、とうとう30年経ってもGDPが成長しない国になった。社会におけるマネジメントに対する誤解が原因ではないか。ドラッカーは遺作で、誰も見たことの無い未来が始まる、と述べていた。確かに今起きている変化を当方も人生において経験したことが無い。しかし、変化を解析してみるとどこかで見た光景でもある。
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