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2022.02/24 報われない努力

フィギュアスケート選手羽生氏の一言「報われない努力」がバズっているそうだ。当方も便乗してこの言葉に言及してみる。


まず、この言葉は羽生氏が発しているところに価値がある。これまでの彼の成果からすれば、どれほどの努力が積み重ねられたのか、だれでも納得ができるからである。


サラリーマンを長年経験した人ならば、努力だけでなく成果を出しても報われない現実を知っているので、この言葉に納得した後に「甘い」と感じている人もいるかもしれない。


努力にしろ成果にしろ誰でも報われたい、と思うのが普通の感覚に違いない。そしてそれらが容易に報われない社会であることを悟ると、努力を辞めて成果を出さなくなる。


一方、努力を奨励するために働き甲斐とかあるいは何らかの行為のやりがいを奨励したり強調すると、それをやりがい詐欺などと揶揄する東大の先生もおられる。


小生は、ある女性マラソンランナーが銀メダルを取った時に「自分を褒めてやりたい」といった姿を今でも思い出す。アップで映し出されたその笑顔は美しかった。


メダルの色はともかく、オリンピック代表選手として選ばれた経緯など含め苦難を越えた努力について自分を褒めてやりたいという言葉で、誰にも理解されないほどのプレッシャーがかかっていたことを理解できた。


努力にしろ努力の目標となる成果にしろ、それが評価され報われることは幸せなことである。だから社会には報償システムが存在しているのだが、当方の仕事の成果を他人の成果として審査する稀有な体験まですると、???????。


ドラッカーは人生において強みを磨く自己実現の重要性を説いているが、それが報われるかどうかまで言及していない。ただし、社会なり組織がそれを正しく評価しないときに成長が止まることを指摘している。


バブル崩壊後日本のGDPの上がらない原因がここにあるのかどうか知らないが、羽生氏の一言がバズる社会について各組織のリーダーは熟考した方が良いのかもしれない。


当方は報われようが報われまいが努力することに生きがいを感じるので、なかなか上達しないギターの練習でも一瞬うまく弾けた、その瞬間が心地よいという理由で続けている。


努力で成長できれば、報われるかどうか関係なくそれはそれで幸せ、と素直に感じる生き方は幸福につながる。努力による成長の跡を客観的に自己評価できた女性マラソンランナーは、メダルの色とは無関係に至高の幸福感を羽生選手と同様に味わったのだろう。

カテゴリー : 一般

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