2022.03/28 学ぶ
99歳で大学卒業、という朝のニュース。放送大学を17年かけて卒業をされた、大正11年生まれの99歳の学生が紹介された。インタビューに”勉強に終わりはないのでこれからも勉強したい”、と答えている。頭が下がる。
11年前に100歳で父が亡くなったが、亡父の口癖も同じような内容だった。亡くなった時にも机の上には、新聞に入っていたチラシの裏に書きかけのお経があった。写経を行っていたようで、遺品を整理したところ段ボール二箱以上の写経が出てきた。
紙の変色状態から10年20年前ではないことが伺われた。大量の蔵書とともに改めて知への飢餓感を知った。恐らくニュースで紹介された99歳の学生も知への欲求が高いのだろう。
放送大学は卒業証書も発行されて、知を学ぶ目標が明確であり、学びには数少ないよい制度である。情報化が進行した結果、書店がかつての半分に減少しただけでなく、知に関する雑誌も少なくなった。
かつては、雑誌”工業材料”はじめ、技術関係だけでも10誌以上あったように記憶している。少年ジャンプの5倍から10倍程度の価格だったが、読者がいたのだろう。発刊日に書店にはそれぞれ2-3冊おかれていたように思う。
当方は工業材料をよく購入していたが、定期購入ではなく、書店で他の雑誌を物色した後購入するのが習慣だった。ゴム会社の図書室にも同様の雑誌は置かれていたが、図書室に並ぶのは1か月遅れであった。
すなわち、新刊は管理職に回覧された後に図書室に並んでいたのだが、せっかく回覧されていてもそれを読んでいない管理職もいたので、知への欲求には個人差があることを上司の姿から知った。
当方の新入社員当時の上司は、知への欲求が高いようなそぶりをしていたが、本を読むのが嫌いだったようで、英文の雑誌だけでなく和文の雑誌についても、要旨を報告する役目をよく指示された。
本人が読んでいないだけでなく、部下育成の目的と言いつつそうでないことは、部下育成と明らかに無関係の記事などもあって迷惑だった記憶の方が多い。
ただし、今思いだしてみると知識の幅は広がったので、勉強嫌いの上司は部下育成がうまいという法則になるのかもしれない。しかし、要旨を報告してもそれが右から左へ受け流し状態ではモラールも下がったので、マネージャーとしての力量は他のメンバーの評価どおりだったのだろう。
ただし、当方は右から左へ何でも鮮やかに受け流す技には感心していた。右から左だけでなく、上から落ちてきた責任までも、見事に下へ受け流していた。
入社間もない時に訳の分からない始末書を書かされた記憶は今でもこの上司の秀逸な能力として思い出す。ホウ酸エステル変性フォームはこのおかげで誕生している。
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