2022.05/03 努力の仕方
学生時代に満足に弾けなかった「禁じられた遊び」をコロナ禍の2年間に練習して弾けるようになった。若いころとの違いは、努力の仕方を身に着けたからである。
人生を生き抜くためにはやはりそれなりの努力が必要で、例えば偏差値が50以上の大学に合格しようとしたならば受験勉強の努力がそれなりに必要である。
低い偏差値の大学を侮ってはいけない。試験で合格しようとしたときに、それなりに勉強しなければトップで合格できない。東大はじめどこの大学でもトップ合格のためにはそれなりの努力が必要となる。
努力も何もしなくても今幸せだという人がいるかもしれないが、当方から見るとそのような人はかわいそうだと思う。やはり、努力をして得た何らかの成功体験による幸福感というものは、人生の幸福感として最高のものと思う(注)。
さて、その時の努力の仕方であるが、まず成功したといえるゴールが明確になっていることが重要である。つぎにその努力が誰のためであるのか、それを明確にすることも必要だ。
3つめに努力の結果成功しても報酬が得られないときの覚悟も重要である。この3つ目の覚悟ができているかどうかは、成功した時の幸福感を大きく左右する。
銀メダルを取った女性マラソンランナーの名言、「自分を褒めてやりたい」という言葉が最大の幸福感となるような努力が良いのかもしれない。
おそらく彼女はメダルの色は何でもよかった可能性がある。多大なプレッシャーを抱え最低でも日本人トップでゴールできること、そこを彼女は当時目標としていたのかもしれない。
逆に自分を褒めることのできない努力をしない方が良い。努力して成功してもいつでも正しく報われる社会ではないからだ。
当方のこれまでの人生でも他人のために努力して成功し、努力の対価としてふさわしく報われた経験は無い。例えばゴム会社における業務はすべて過重労働で行っており、膨大な残業代を申請していないだけでなく最後は、事業を立ち上げてもFDを壊されるような妨害を受け転職している。
散々な12年間だったが、命をかけるほどの努力をし生きる力を磨けた時代でもある。社長方針通りの事業を立ち上げてもそれにふさわしい報酬どころか残業代さえも申請できず頂いていない。
この努力の結果における成功体験で、努力をするときの心構えを理解できた気がしている。「自分を褒めてやりたい」と言える努力をするのがコツだと思うようになった。
ただし、自画自賛ではない。住友金属工業とのJVとして立ち上げた高純度SiCの事業は、日本化学会技術賞を受賞するなど多数の賞を頂いただけでなく、現在は愛知県のセラミックス会社で事業が継承されている。
(注)これは価値観の類かもしれない。ただ当方が伝えたいのは、若いころに弾けなかった「禁じられた遊び」を今頃弾けるようになっても幸福感を感じられる人生を伝えたいのである。この曲は中級レベルの曲なので、大した努力をしなくても弾けるようになれる人がいるかもしれない。それでも当方は若いころに最後までそれを弾けなかったのだ。才能が無かった、と言ってしまえばそれまでだが、奮闘努力し、できなかったことができるようになる喜びを忘れないようにしたい。平和でなければ味わえない喜びである。
カテゴリー : 一般
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