2022.05/21 データサイエンスの真実
このコロナ禍で衝撃を受けた出来事の一つにデータサイエンスの大衆化がある。携帯電話などから発信された個人データをAIにデータマイニングさせ、その結果を番組で紹介し、パネラーが議論するという番組進行には大変驚いた。
パネラーにはいわゆるおバカタレントも参加し、データマイニングで見出された新たな知識で遊んでいるのだ。コロナ感染者の増加データやその原因らしきものを示唆するデータが遊びの道具になっている。
コロナ予防について大衆の啓蒙にこれが役立ったのだろう。日本では欧米と比較し「さざなみ」程度の感染者数である。某役人による「さざなみ」という表現が問題視されたが、日本の感染者数データから判断すれば座布団一枚出したくなる表現だ。
このようにAIを用いたデータマイニングの結果を利用しTVの娯楽番組が作られる時代になったことに驚いている。50年ほど前は、パンチカードにデータを打ち込み、カードデータの打ち間違いを探し、多変量解析を大型コンピューターで行っていた。
大型コンピューターは、時分割処理で動いていたので緊急性の低いデータは翌日朝まで結果の出力を待たされることもあった。45年前にはMZ80KにFDを接続し、100件のデータセットを2時間ほどで処理できるようになった。
独身寮で休日カチャカチャと響くFDの音に快感を感じ、婚期が遅くなることを悟った。40年前にはPC9801にハードディスクがつき、筑波のアパート(裏に地元の墓地があった)で、SiCのスタッキングシミュレーションを行っていた。
材料技術分野におけるデータサイエンスとは、このように息抜きで行う遊びと思っていたら、それが技術者だけでなく、大衆までデータサイエンスで遊ぶ時代になった。
データサイエンスから得られる知とは、科学の論理展開から得られる知と異なり、データに生まれた偶然による相関から導かれる根拠の怪しい知が含まれている。
その怪しさを大衆は楽しんでいるのだ。また、技術者は科学的というには少し気恥ずかしさがあるが瓢箪から駒の機能を見出せる可能性にかけて昔から遊び感覚で使用してきた。
それが最近ではマテリアルインフォマティクスなる分野が現れ、アカデミアが真面目に取り組んでいる。ただし、人間の頭を使わずAIに頼ってである。昔から技術者はそれが科学的かどうかという曖昧さゆえの気恥ずかしさもあって自分の頭を使い知を紡ぎだしていた。
科学者と技術者の違いがここにある。科学と技術の境界は時代により変わるという名言があるが、科学者が自分の頭ではなくAIに頼る時代が来るとは想像しなかった。人間の良心から生み出される知が大切で有用と信じてきたが。
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