2022.07/09 信頼性工学の重要性
昨日、安倍元首相が凶弾に倒れた。そして終日そのニュースが報じられたわけだが、「銃で撃たれることを想定していなかった」というコメントがあった。
これは「ありえない、あるいは事件の内容から許されないコメント」である。同様のコメントは、福島原発の爆発でも述べられた。「想定外の大きな津波だった」。
想定外というコメントが許されないはずなのに、福島原発の事故ではその責任さえもうやむやのままとなった。福島原発の事故直後、様々な映像や生の状況報告が流れている。
それ以外に当時のスポークスマンの職場不倫の話が飛び出すなど(注)日本国民のすべてが信じられない情報に接した。その情報の中には、補助電源が一階においてあったため、津波で早々と使い物にならなくなった、素人でもあきれる状態があった。
これは厳しく責任が問われるべきだった。なぜなら「想定外の津波が来ても動作できるように屋上に置く」ことができたはずであり、そのように対策がとられておれば爆発事故を防げた。
また、補助電源車で電源供給しようとしたらコネクター形状が合わなくて電源供給できなかった、という情報もあった。これも厳しく責任が問われるべき失態である。
なぜなら、コネクター形状が様々存在していることは事故が起きる前から情報があり分かっていたはずで、接続用変換コネクターをすべて用意しておくべきだった。
これらは、想定できないことまで考えることになるゆえに非科学的な対策という人がいたが、大事故大事件を防ぐためには、「想定外と思われても」「できる対策」をすべて取るべきである。これは信頼性工学の重要な考え方である。
外部電源の変換コネクターをすべて準備したとしても100万円もかからないだろう。また、外部電源を屋上に置いたとしてもそのための費用は大きくないはずである。
昨日の事件でも発生直後様々な映像が流れた。一発目が撃たれたときに驚いて逃げようとしているSPの姿や、犯人が怪しい筒をかかげながら安倍首相の背後に移動しても近くにいたSPは腰を抜かしたのか動こうとしていない映像があったが、どのように今後評価されるのか。
「銃で襲撃することは日本で想定外」では許されない事件という視点ですべてを検証し、責任者をそれなりに厳しく処罰しない限り、再発する。東京電力の責任者が裁判で甘く扱われた結果、国民は原子力発電に極端なアレルギーになっている。
暑い夏である。冷房をもう少し低い温度で運転する代わりに、エアコンを止め、コロナ対策の空気清浄機の前に水を凍らせたPETボトルを並べて除湿と冷房を行わなければならないのは悲しい。
(注)N審議官に関する不倫報道や彼がカメラの追跡から逃げるワイドショーで報じられた姿は、故伊丹十三監督のお葬式同様のドタバタ劇のようだった。
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