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2022.07/25 花王のパソコン革命(2)

表題の本は、当方にとって仕事のスタイルに影響を与えた良書、と今ならば思い出されるが、当時は給与を失うことになるとんでもない本が出版された、と恨んでいた。


サブリーダーとともに著者とインタビューした時にも胡散臭い本という印象をもつに十分だった。著者自身は、情報工学の無かった当時としては珍しくコンピューターに精通していた人であり、2時間のインタビューで十分に当方が啓蒙された。


しかし、8ビットのコンピューターでは大したことはできないことを知りながら、NECのPC8001で革命を起こすなどと言ってのける態度には反感を持った。まだ会社で評価されるには誠実真摯に仕事を行えばよいと愚直な姿勢で仕事に取り組んでいたころである。


当時発売されていたパソコンは、8ビットでROMベースのBASICが搭載されただけの機械であり、さらにキーボードしかついていない商品が大半だった。そのなかで、シャープは、表示装置もつけたキットをMZ80Kとして発売していた。


さらに拡張ボックスをつければ、プリンターやフロッピーディスク、その他周辺機器用のパラレルボードを接続できた。それらを操作するためのOSもFDOSとして提供されていた。ただしすべてそろえた場合には80万円以上となり、オプションのついていないカローラ1台の価格となった。


ソードや三洋電機がオフィス用にCp/Mを提供していたが、ほとんどのメーカーはROMベースのBASICだけだった。「花王のパソコン革命」にはPC8001でOA化が行えるようなことが書かれていたが、著者からは高いがソードが良いと勧められた。


ソード社は当時パソコンベンチャー企業として知られており、MZ80Kのように独自OSを提供していた。8ビットでありながら、大型コンピューターのような設計だった。


このソード社のコンピューターをゴム会社研究所へ導入するにあたり、リーダーから独身寮で当方が購入したMZ80Kで成果を出すように指示された。


今から考えればおかしな指示であったが、またサブリーダーもリーダーの指示がおかしいと言ってくださったが、始末書で散々もめた経験から元気よく「そうします」と返事をしている。


その結果、車一台分の私費を会社の仕事のために投じることになった。このような無茶苦茶な環境で我慢して仕事をしていたことを不思議に思われるかもしれないが、当時新入社員は奴隷のような扱いでも我慢することが常識の時代だった。


当方の悲劇は、リーダーがパソコンというものに全く無知でありながら、自ら勉強しようとせず、言葉だけを振り回す管理職だったために起きている。ゆえに当時ホーレンソーは管理職が「言葉」を増やすために重要な、部下のスキルとなっていた。


「花王のパソコン革命」を当方は書店で購入したが、この管理職はプロジェクトのリーダーに就任した時に会社の伝票を切って購入している。ゆえに入手までに1週間かかるという理由から購入した当方に本の内容をまとめ、報告するように命じてきた。


その命令をサブリーダーに相談したところ、著者へのインタビューをサブリーダーがリーダーへ提案してくださり、書籍の内容報告を出張報告として書くことになった。管理職が勉強しなくても務まった時代の話である。

カテゴリー : 一般

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