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2022.09/17 故円谷幸吉の記事

1964年東京五輪男子マラソンの銅メダリスト故円谷幸吉氏に関する報道で、「自殺に追い込んだ」と雑誌で名指しされた元上司の遺族が14日、記事は事実と異なり名誉毀損だとして、出版元の宝島社(東京)側に計1100万円の損害賠償などを求め東京地裁に提訴したとの記事があった。


当方が自殺してはいけない、と訴えているのはこのような問題が大きいからである。どのような自殺でもその真の原因は、自殺した本人しかわからない。


50年以上生きてきて死にたくなるような経験が一度も無い人は本当に幸福な人である。当方などもう3回ほど死んでいてもいいような人生を送っている。しかし、頑張って生きる道を選んでいるが、それは周囲に迷惑をかけたくないからである。


故円谷幸吉氏にとって上司を恩人と認識しているが、自殺という死の結果ゆえに記事のような事件となるのだろう。また、企業でも若手の自殺が記事になり、会社側の謝罪となるケースが最近多い。


明らかに悪者は職場の特定の人間だったとしてもそのような人間の雇用責任から社長の責任となるのだろうが、社長が謝罪していては、職場で起きていた真の問題を解明できない、あるいは社会でその問題を共有できないのではないか。


当方はそのような組織内の犯罪を社会が寛大だった時代ゆえに、死にたいところだったが犬死になるのを懸念して転職している。被害者が転職するというおかしな状態だが命を大切にするためにはそれしかなかった。異常な状況を示す手紙などの証拠が残っているのでいつか公開したい。


STAP細胞の騒動では理研の研究者が研究所内で自殺と言うショッキングな結末となっているが、宝島社のように書き立てるところは無い。同窓生の死はあまりにも悲しかったが、できればあの騒動を生き抜いてほしかった。そして真の問題の是正に行動を起こしてほしかった。


被害者が自殺してしまうと正しい問題が歪曲される可能性が高い。円谷選手の自殺でも正しい問題はスポーツ選手とりわけ国中から期待のかかっているスター選手が背負う重圧に対してどのように社会がサポートすべきかという問題だったはずだ。


銀メダルをとって「自分を褒めてやりたい」と言った有森選手の言葉は名言である。当時の陸連が有森選手を選んでから彼女に対する重圧は円谷選手同様に大変だったであろうと想像がつく。


それらをサポートした周囲の存在は、興奮が冷めてから語られている。自殺をこらえて走り切った感激ゆえに「自分を褒めてやりたい」と言う言葉に集約されたのではないか。


重圧に彼女がつぶされていたならば、彼女をサポートしていた人の存在は永遠に語られなかっただけでなく、今回の問題のように逆の展開の可能性が出てくる。


どんなにつらいことがあっても死んではいけないのだ。自ら死を選ばなくてはならないような状況になったら、すべてを捨ててでも生きる道を選ぶべきである。


生きておれば、必ず生きていてよかった、と思える瞬間がおとづれる。生きていてよかった、と思える瞬間があるから生きよ、など無責任なことは言わない。良かった、と思えるのは、ほんの瞬間で、苦しい時は、何故か長時間継続する。


ただ、被害者が自殺したなら正しい問題が見えなくなり、死ぬほどの苦しみの原因が改善されないので、同様の苦しみを残された人が味わうことになる可能性が出てくるかもしれない。死にたいと思っても生き抜いて死にたくなるような原因を社会から取り除く活動をしてほしい。


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