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2022.09/25 データの時代

かつて研究開発は仮説を設定し、その仮説を検証するために実験を行った。その実験結果が仮説を実証すれば、仮説が正しいとされ、仮説と異なる実験結果が出たならば仮説が間違っていた、という結論をだすのが科学の方法である。


イムレラカトシュは、その著書「方法の擁護」の中で、否定証明だけが完璧な科学の方法となりえる、と指摘している。しかし、科学で完璧になされた否定証明でも否定された仮説を支持する実験結果の前には、ゴミとなる。


例えば、ゴムからのブリード物で増粘し耐久寿命が無くなる電気粘性流体について、界面活性剤では問題解決できない、という否定証明がなされた。


この問題について当方は界面活性剤を主成分分析し、HLB値以外と相関する機能を界面活性剤に見出し、その機能が強い界面活性剤を用いて電気粘性流体の耐久性問題を解決し特許出願している。


科学的な否定証明が、たった一晩でなされた8ビットコンピューターMZ80Kによる主成分分析結果とそれを示す瞬間芸的実験でひっくり返ったのだ。


この科学という哲学の問題を高度経済成長期に議論され始め、アメリカではトランスサイエンスという用語が登場したが、バブル崩壊と同時にこの議論も消えた。しかし、21世紀となりトランスサイエンスが日本で話題になりはじめ書籍が出版されている。


背景に環境問題があり、科学に問うことができても科学で解けない問題の存在に世界中が気がついた。実は科学登場以前に人類は、遭遇する様々な問題に対して技術で解決し、科学誕生とともに産業革命を引き起こす機動力となっていた。


しかし、その技術的思考方法が科学誕生とともに最初に述べた仮説を基にした思考方法にとってかわった。この10年ビッグデータを基にしたデータサイエンスの話題が絶えない。


データサイエンスでは、現象に潜む機能因子と相関して表面に現れたデータを数学的に処理し、現象に潜む機能を予想する。すなわち、そこでは科学で求められた仮説の立案プロセスは最初に行われない。


あくまでも最初に行われるのはデータの数学的処理である。このプロセスは科学的と言えるかもしれないが、機能を予測するのは科学ではないのだ。あくまでも予測である。妄想かもしれない。


しかし、かつては非科学とされたこのような方法が、今科学的と言われたりしている風景を見ると、科学と非科学の境界が、少なくとも小生がデータサイエンスで仕事をしていたことが一因となり転職した時代から大きく動いたのだろう。

カテゴリー : 一般

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