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2022.11/19 データサイエンスとトランスサイエンス(2)

子供のころから化学が好きで、高校生の時に名古屋大学平田教授のフグ毒の新聞記事に感動した。大学では、その先生の特別講義を拝聴でき、卒業研究は有機金属合成の講座で1年間シクラメンの香りの全合成経路について研究した。


アメリカ化学会誌にショートコミュニケーションとして紹介されたが、教授の退官とともに講座が閉鎖されるというので、大学院はSiCウィスカーを研究していた無機材料の講座で2年間ホスホリルトリアミドの研究をして論文を4報ほど書いた。


だから、専門は無機材料化学となるのだが、2度のオイルショックで就職氷河期だった。当時最先端材料として注目を集めていたホスファゼンについてファイアーストーン社は人工衛星ジェミニ用の特殊ゴムを提供していた。


そのファイアーストーン社の研究所へ訪問した企業の非公開リストをたまたま某先生が持っておられて、そこに載っていた日本のブリヂストンタイヤに興味を持った。


運よく先輩社員がリクルーターとして来校されたときに入社意思を示したら、79年にはその社員となっていた。入社までの経緯においてもいろいろあったが省略する。とにかくゴムについて形式知の乏しいまま、研究所へ配属されたことから話を書く。


79年10月1日にアカデミアよりもアカデミックな研究所へ配属されたのだが、大学院2年間の生活よりもアカデミックだった。ただし、アカデミックな点は学部の卒研の時の講座と同様だったが、厳しさは無かった(注)。


アカデミックでありながら厳しさの無い状態とはどのような状態か、想像していただきたい。入社4年後に無機材質研究所へ留学し高純度SiCの新合成法を実証するのだが、この時に研究所を管轄する本部長がYからUに交代した。


Yは大学教授にしたなら最も大学教授らしい人だったが、Uは実務家で研究所の風土改革を目指していた。このUの忘れられない迷言に「女学生より甘い」という言葉がある。今なら世間から批判される言葉だが、これが企画会議で管理職に向けられた言葉なのでパワハラにもあたるかもしれない。


しかし、アカデミアよりアカデミックで厳しさがない当時の研究所の姿を形容した言葉でもある。当方は学部の卒研の1年間にアカデミックな研究とは自己を厳しく律しない限り堕落に走る、と躾けられ、1年研究したら1報論文を書けるぐらいになれ、と学部の4年生にアカハラ以上の圧力をかけられて成長できた。


今でも思い出すが、明日が締め切りという日に卒論を提出したところ、大量の英語の論文の山を渡され、これを読んで明日までに書き直してこい、と言われたときには、頭が真っ白になった。


しかし、今の君にはそれだけの実力がある、と言われ、豚もおだてられれば木に登るわけでもないが、徹夜で大量の論文をまとめて、数10ページの緒言とした。


大学院まで6年間勉強して語学と数学には自信がついたが、化学については人様に誇れる専門分野は無かった。ゆえに社会に出たときに混練の神様と言ってよいような指導社員に出会ったことは幸運だった。


(注)会社の経営には、石橋イズムといっていいような厳しさがあった。この欄で始末書体験を書いているが経営上の問題があると管理職は厳しく注意を受ける。そして、始末書となるのだが、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの基本配合を半年で仕上げ、課長に命じられて工場試作まで成功させた新入社員は本来褒められるべきだ、と思っている。市販されていないホスファゼンを使ったことを課長である主任研究員は始末書の理由として当方に説明し、その責任が当方にあると責めている。しかし、課内で当方が企画説明をしたときに、この課長は世間に存在しない世界初のホスファゼン変性高分子を合成しようという新入社員は今までいなかった、と褒めてくれたのである。おそらく、課長が書くべき始末書を新入社員に書かせたので、その甘い考え方に人事部長も目が点になっていたかもしれない。世間に存在しなければ、市販されていないことは自明である。

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