2023.04/23 大阪弁護士会新会長に三木氏
昨日表題のニュースが報じられた。三木秀夫弁護士は、あの理研STAP細胞事件において小保方氏の弁護人を務められた方である。
就任後のインタビューで当然のごとくSTAP細胞の存在を問う質問が出たそうだ。回答は弁護人を務めただけあって、その存在を信じている、と答えている。
理研STAP細胞事件では、優秀な研究者笹井氏が研究所で自殺している。その遺書には、マスコミなどの不当なバッシングに疲れ切った、と言うようなことが書かれていたという。そして、小保方氏には、STAP細胞を再現してくれるようにお願いの一言まであったという。
この事件では、自殺の場所などから組織の問題を原因とする指摘も当時あったが、組織とマスコミとの板挟みになっていたことは、容易に想像がつく。ところが、自殺に追い込んだ組織の責任者は沈黙したままだった。
さて、三木氏がどのような弁護士なのか、あるいはその人柄について、マスコミが時折報告している記事から想像がつく。その記事には、小保方氏が今ささやかながら幸せな生活(注)を送っている、と書かれている。
小保方氏まで自殺に追い込むような悲劇を防ぐことができたのだから、判断力と指導力の優れた方だろう。理研が否定証明を行ったSTAP細胞の存在を信じていると、当方でさえこの欄で書きにくい非科学的な内容にもかかわらず、堂々と答えられている。
一連の当事者の苦しみについて、当方は、2億4千万円の先行投資を受けてスタートした高純度SiC事業が5年近く立ち上がらず、類似の体験をしたので理解できる。
マスコミと組織の板挟みではないにしても、身内であるはずの組織から生存すら否定される扱いを受けることがどれだけ苦しいことか、実際に味わったものでなければ理解できないと思う。理研でも当方が経験したような事件が起きていたかもしれない。
社長方針だった、電池、メカトロニクス、ファインセラミックスの3本の柱のうち、ちょうど世界初のLi二次電池事業が立ち上がったころ、そのリーダーが、SiCの事業テーマも管理するから二次電池事業を拡大するため、ファインセラミックスの研究棟を明け渡すように命令されている。
しかし、高純度SiCの事業成長をヒーターや切削チップのサンプルを作って見せて研究棟の存続必要性を訴えたりしていたら、日本化学会化学技術賞を受賞後、この事業をすぐにリーダーはたたんでしまった。さらに、研究を推進していた責任者の一人は受賞を勲章にして某社へ転職している。
学会の受賞が目当て、ともとれる行動だが、売り上げが予想よりも少なく事業に対する風当たりが研究所内で強まっていったことが大きい。当方もセラミックス電極開発や電解質用ホスファゼン難燃剤開発を提案したりしたが、検討すらされていない。
ホスファゼン難燃剤については、その後電気粘性流体用オイルとして自ら研究開発し特許出願を行っているが、この成功でLi二次電池用難燃剤として改めて研究開発が再開されている。
事業撤退により電池のテーマが縮小化された後、当方は一人で高純度SiCの事業化テーマを何とか建て直そうと無機材質研究所との共同研究プロジェクトを立ち上げている。このプロジェクトの後、住友金属工業小島氏と出会い、JVの準備を進めることになる。
しかし、ゴム会社の研究所で一人で活動する当方が針の筵状態であることは変わりなかった。ファインセラミックス棟以外に置いてあった実験設備は、小型電気炉も含め他の管理職の印で当方へ相談なく強制的に廃棄されたりもしている。
努力が実り住友金属工業とのJVについて社長印を頂くことができ、JVが立ち上がった時に、U本部長からI本部長へ交代し、さらに過激な事件が起きるようになって、JVの業務そのものを推進できなくなるような状況へ追い込まれてゆく。
例えば、電気粘性流体の耐久性問題を解決するため、加硫剤も添加剤も何も入っていないゴムを当方一人で開発しろと言う無茶な指示である。アメリカのタイヤ会社立て直しに研究員が動員され、気がつけば研究所で混練技術はじめゴム材料に詳しい研究者は小生一人になっていたそうだ。
会議前になるとFDを壊されたりする業務妨害まで受けて追い詰められた小生は結局転職している。転職後八重洲本社でとんでもない事件が起きたように当方が自殺を選ばなかった理由は、転職後も一年近くJVのフォローをするように頼まれたからである。
これは、手紙が証拠として残っているが、今から考えるとそれはふざけた内容であり、またそれにもかかわらず、誠実に技術の伝承をした当方は、大変なお人よしでもあった。弁護士会会長の話で思い出さなくてもよい話を思い出した。
(注)マスコミが報じるような幸せな状態であってほしいが、著書を読む限り心の深い傷は癒されていないと思う。STAP細胞の否定証明だけでなく、卒業された大学の仕打ちなど、彼女に対する周囲の対応をみると、それらを研究者が当然負うべき責任の結果とするには疑問の余地が大きい。例えば学位剥奪の問題について、彼女にその力量が無かった、とすれば、力量の無い人間に割烹着まで着せリーダーへ祭り上げた理研の責任を問わなければいけない。また、コピペの問題を取り上げるならば、それを見抜けなかった教官、あるいはコピペを防ぐ対策をとらなかった大学の責任は、彼女の力量と無関係である。彼女の学位審査よりも10年以上前にその対策をとっていた中部大学が存在しているので大学の教育組織としての責任が大きいことがわかる。
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