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2023.05/02 物理と化学

物理と化学は、理科の科目として高校では別々に学習する。その共通言語的位置づけとして数学がある。大学の教養部2年間ではこの境界領域の学問である物理化学を学ぶことになる。


面白いのは、化学が錬金術師を祖とし、物理はニュートン力学を祖として高校で学んだことある。ニュートン以前の物理学者の話も授業で出てきたが、マッハによればニュートンでさえ非科学的な研究を行っていたとされている。


教育指導要領がどうなっているのか知らないが、高校ではニュートン力学の知を科学として学ぶ。少なくとも当方はそのように高校で習った。


化学では錬金術師の話が出てきた。数学では指導要領外だが、とただし書きがついてユークリッド幾何学を教師手製の特別テキストで学んでいる。


マッハにより非科学の知と指摘されたニュートン力学を高校で科学として学ぶ問題と、教育指導要領外のユークリッド幾何学を3か月も授業時間を割き学ぶ問題、錬金術師の功績まで授業で学ぶ問題など、やたら問題の多い高校だった。


これらの問題があったにもかかわらず、大学の教養課程のレベルと高校3年間の学習レベルに大きな差を感じることなく課外学習の時間が多くても良好な成績が得られたのは、工夫された高校の授業のおかげと感謝している。


量子力学あるいは量子化学の授業のように高校のレベルをはるかに超えるように感じた科目もあったが、教養部の二年間でこれらを学んでも、高校生の時のように能力が上がったという実感は無かった。


やはり、中学校の理科が高校において物理と化学、生物、地学に分かれたレベルアップが高校から大学教養部へレベルアップした段差よりも高いような気がしている。


高校では、科学教育を受けていたはずなのだが、生物や化学の科目と地学や物理学の科目に微妙な頭の働かせ方の差を感じている。容易に100点近い点を取れる科目とうっかりすると50点などというひどい点になってしまう科目との違いと表現すると分かりやすいかもしれない。


生物と化学はパラダイムが似ていたようで試験前の勉強は容易だったが、地学は物理学と似ていて試験前の勉強を化学同様に行ったところ散々なテスト結果だった。両方得意の友人を羨ましく思ったりもした。


この同じ科学の科目であるにもかかわらず、高校教育における物理と化学のパラダイムの違いに早く気がついたことが、科学論への興味につながっている。


ドラッカー以外にマッハ力学史や科学と芸術など科学論に関する書物を高校時代に数冊読んだが、この経験から、社会人になるまであるいは大学の教養課程までに最低1冊は科学論の分厚い本を技術者は読んでおくと社会に出てから科学の知識を活かしやすい、と思っている。


理科系の科目すべてを好きだったが、何故化学系の仕事についたのか、この疑問を解くカギが高校時代の物理と化学に対する無意識の姿勢の違いにあり、科学論はそれを気づかせてくれた。


科学論といっても科学ジャーナリストが書いているような薄っぺらな内容は気づきにつながらない。日本の大学の先生が書かれた科学論には、受け売り的な駄作もあるが科学ジャーナリストよりましである。


科学論を多数読むと、科学という哲学の理解が進み、高校の物理と化学にパラダイムの差があることに気がつく。そしてこの二種類の分野の知を人類がどのように深めてきたのかその過程を想像でき面白い。


日本では科学教育を基本としているので、教育指導要領に厳密に従う高校では、この差がほとんどないのかもしれないが、当方の高校時代の思い出では、日本史や世界史、倫理社会も含め少し怪しい授業が多かった。


ただ、大学で物理を力学と電磁気学に分けて学び、高校で科学に忠実に従い物理や化学を指導する難しさに気がついた。興味深いのは科学的に怪しい物理や化学、ユークリッド幾何学まで教えてもらえた授業のおかげで力学や電磁気学の「科学」的理解が容易だった、と感じていることである。


データサイエンスを技術者が実務で活かそうとしたとき、例えばタグチメソッドを実務に導入しようとしたときに、どことなくアレルギーを感じたりするのは、この物理と化学の違いの感覚に近いように思う。早めに科学以外の問題解決法のパラダイムの存在に気がついておれば社会に出てからひどいアレルギーに悩まなくて済むように思っている。

カテゴリー : 一般

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