2023.05/25 才能と努力
才能と努力どちらが大切か、と言えば、努力することの方が大切だろう。才能が無くてもそのことが好きで努力できれば、何とかなる、と人生経験から言える。
特に好きでなくても努力すれば、一流にはなれなくても自分で能力に応じて設定したゴールへ何とか到達できるように誰でもなれる。努力のありがたさはそこにある。
努力しても自分で勝手にゴール設定できない場合には、すなわち相手にゴールを左右される場合には努力だけで何ともならない時もあるが、それでも努力による気づきでそれが無ければ得難い学びができるのは努力の大切な理由である。
才能があれば、努力すべきだろう。才能が有っても努力しなければ、結局十分な能力を発揮できなくなるか、活躍期間が努力した人よりも短くなる。これは、メジャーリーグの藤浪投手と大谷投手を比べて納得できる。
大谷投手が野球に対して真摯に向き合い最大限の努力をしていることは誰もが知っている。またそれに関する逸話も多い。
一方藤浪投手の才能も大谷投手に負けないほどであることは、メジャーリーグの活躍を見ていると理解できる。高校時代は大谷投手より高く評価されていたし、今でも一瞬凄いピッチングをすることが稀にある。しかし、それが一瞬であることを阪神ファンは皆知っている。
また藤浪選手の練習嫌いは有名で、遊び人でもある。地味に見えるところもあるが、これまで幾度となく週刊誌をにぎわせてきた。コロナ流行の初期には、夜遊びの結果早い段階でコロナに感染している。
この大谷投手と藤浪投手を較べてみると才能と努力について、努力の重要さを大変良く理解できる。才能が恵まれるかどうかは天が決めることだが、努力はその人の習慣で誰でも身に着けることができる。
才能のある藤浪投手でさえ廃業の危機に直面するのだ。凡人が努力しなかったらどうなるかは説明の必要が無い。凡人は死ぬまで努力することが常識と考えて生きていると、息抜きの散歩さえどこか旅行したような気分となり楽しくなる。
藤浪投手がメジャーで成功するかどうかは、誠実真摯に野球に向かい、生活を大谷投手のように野球一色にできるかどうかにかかっている。
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