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2023.08/04 知識と情報

情報と知識が同一と思っている人はいないと思うが、現代の生成系AIの答えはどちらだ、と聞かれた時にうまく答えられるかどうか自信のない人もいるのではないか。


また、知識について生成系AIのような知識を頭に詰め込んでいる人もいるので、この問いの回答によっては怒りだす人もいるかもしれない。


まず、知識とは「形式知」と「経験知」、そして「暗黙知」の体系なので、いずれかに分類される。そして知識を身に着けるときにそれらを体系立てて身に着けていることが求められる。


この観点では、現代の生成系AIの知識には情報と知識の区別のできないものが大半である。ゆえに生成系AIの回答を知識として受け取るのは危険であり、情報としてまず眺めた方が良い。


最近生成系AIの回答が間違っている場合の議論がなされているが、情報を吐き出しているだけ、と捉えれば、議論するほどのことではない。そもそも現在のレベルにAIなどと名前を付けている問題を議論すべきではないか。


子供のころに学んだことを知識に変えるには知恵が必要となるので知恵を磨けと亡父に言われて困ったことがある。知恵がどのようなモノか理解していなかったので、磨く前に知恵と言うものが何か調べた。


すぐに亡父に知恵とは何か、と聞かなかったのは、父親の教育方針が「自分で調べろ」式の荒っぽいやり方だったからである。調べるための本は、自宅に大量にあったのでインターネットは無くても情報を集めることができて、おぼろげながら知恵と言うものを意識するようになった。


しかし、知識について「形式知」と「経験知」、「暗黙知」の3種の知で体系づけられると知ったのは、大学教養部の哲学の授業で学んでからである。「知性の歴史」を教科書に進められたこの授業ぐらい大学で勉強した価値を感じた授業は無い。


なぜか頭がすっきりしたのである。大学受験で詰め込まれた知識に悶々としていたが、それらが整理され、学ばなければいけない新しい知識を入れるためのスペースが頭に空いたのである。このとき、ドラッカーの次の言葉を少し理解できた感覚になった。


(P.F.ドラッカー「経営者の条件」より)

頭の良い者がしばしばあきれるほど成果をあげられない。彼らは頭の良さがそのまま成果に結びつくわけではないことを知らない。頭のよさが成果に結びつくのは体系的な作業をとおしてのみであることを知らない。

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