2024.07/02 有機合成と計算機(1)
もう50年以上前となるが、コンピューターを計算機と呼んでいた。高校生の時に発売されたばかりの電卓を学校に持ってきて自慢していた友人がいた。
小さなチップ一つで計算している、と説明していたが、今では100円ショップで売られているような電卓が10万円前後した時代である。
当時の新聞にフグ毒テトロドキシンの構造解明に名古屋大学平田義正先生が成功したとのニュースが出ていた。アダマンタン骨格の難解な構造の化合物について、合成にも成功していた。
毒の研究と言えば平田先生の名前が出るくらいのグローバルに名前の知られた先生で、名古屋大学の有機合成研究のレベルも野依教授に石井教授と世界トップレベルとなっていた。
名古屋大学といえば宇宙や有機合成の話題が毎月のように新聞に掲載されていた。それで、有機合成の研究者を目指して名古屋大学に入学したのだが、4年時の卒業研究でせっかく石井研で学べたにもかかわらず、石井先生の定年退官で講座が閉鎖された。
名古屋大学は、世界的な研究レベルを有している講座であっても、簡単にリストラする大学である。これでは、大学の研究レベルは上がらない。ちなみに当方の卒業研究は、アメリカ化学会誌に掲載されているが、大学4年生の研究論文がアメリカ化学会誌に掲載されるということは珍しいことだった。
当方が優秀だった、というよりも指導スタッフが大学院の学生含め、皆優秀だったからである。その研究室では、毎年一人1報論文を書かなければいけない義務があった。
大学院はSiCウィスカーの研究室へ進学しているが、とても牧歌的雰囲気で、半年に1報研究論文を書く、と自己紹介したら笑われた。しかし、がんばって大学院の2年間の研究で6報論文を書いている。
2報はホスファゼンに関する論文で、他はホスフォリルトリアミドに関する研究である。1報はPVAを難燃化した研究論文もあり、高分子の難燃化技術については学生時代から今日までの50年以上研究しているテーマとなった。
実は難燃化研究よりも長い研究歴の分野がある。それは情報工学という学問が生まれる前からドラッカーを読みながら計算機を眺めていた研究である。ドラッカーはマネジメントの父とも言われたりしているが、問題解決の父でもあり、情報工学の父とも呼べる大天才である。
カテゴリー : 一般
pagetop