2024.07/11 データサイエンスとコンピューター
大学生の時に情報工学科設置のブームが起きている。すなわち第一次AIブームの影響がこれであるが、当時のデータサイエンスは、IBMの大型コンピューターあるいは、ミニコンと呼ばれる中型のコンピューターが使用された。
また、データサイエンスの中心は多変量解析だった。実験計画法も多変量解析の一つとされたが、タグチメソッドにとってかわられた。
79年にゴム会社へ入社した時に、優秀な情報工学科卒業生が同期にいて、熱くデータサイエンスについて語っていた。そこでIBM3033に付属したパッケージに関する電話帳数冊分のマニュアルについて解説をお願いしている。
何故かその後静かになったが、すぐに奥野先生の多変量解析の教科書を手に入れて、それを同期の友人たちと一生懸命勉強した思い出がある。
当時市販されていていた165-SR13というサイズのタイヤを解剖して得られたデータをどのようにまとめるのか議論し、多変量解析で行えばよい、となったからである。
多変量解析の理解は簡単だったが、英文のマニュアルとの格闘が大変だった。英文は簡単でも数学の用語が難しかった。奥野先生の本には英語も付記されていたのでそれが重宝したのだが、パラメーターの呼び名がマニュアルと教科書で少し異なっていた。
悪戦苦闘してIBM3033を使ってデータサイエンスを自由自在に使えるようになったのだが、8ビットマイコンの時代になった。上司が保証人となって80万円のローンを組み、独身寮にMZ80Kのシステムが1セット稼働することになった。
IBM3033は、使用料金が高かったため、マイコンの方が安いとなったのだが、今ならばブラック企業である。従業員にローンを組ませてコンピューターを購入させているのだ。
そして、データサイエンスをやりたければ、業務終了後独身寮でやれ、といわれている。定時後の残業を命じられても、残業代がでないのである(注)。
これが当方とデータサイエンスとの本格的お付き合いとなった。当時年収200万円程度で80万円のローンである。必死に使い倒すしかなかったので、様々な研究テーマについてデータサイエンスの応用を検討している。これが今思えば良い勉強になった。
(注)残業代だけでなく、上司の代わりに難燃剤のセミナー講師を当時から務めさせていただいたが、セミナー会社から講師料を頂いてない。皆上司の懐に入っていたことを転職してから知った。セミナーでは独身寮でまとめられたデータもゴム会社の研究データとして使われた。今から考えればひどい話だが、当時はデータサイエンスの勉強意欲が勝っていた。
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