2024.08/07 イノベーションを生み出すために
発明者がテーマ運営の都合で報われないことは、それが企業という組織の業務であるという理由でたびたび生じる。ゆえに、ドラッカーは、働く意味を貢献と自己実現にあるとしている。すなわち働くことを貢献とし、その報奨として自己実現があるとしている。
しかし、報われないだけでなく、発明者の努力の成果が第三者に奪われ、第三者が栄誉を受けるという事態も生じる。ドラッカーは、知識労働者の業務において成果を出すためには、自分の成果を他の人に渡さなければならない、と述べている。
これは、知識労働者の貢献の方法を説明したものであるが、この意味では、イノベーターの発明を他の人が活用して成果に結びつけなければいけない、と言える。
しかし、「他の人に成果を渡す」知識労働者の仕事のやり方について、それを発明者が了解していることが前提になる。これは発明の成果が正しく管理され、発明者の納得する運営がなされていなければ実現されない。
企業で研究活動を33年続けて思うのは、発明の成果の扱いが、それが大きければ大きいほど理想とはかけ離れて扱われ、発明者を大きく傷つける非情な世界という現実の問題である。
アカデミアでは、社会に貢献できる論文を書くことが重要な業務であり、良い研究であれば自分の成果として書こうとする。ここで問題となるのは、その研究にどれだけ執筆者が貢献していたかどうかである。
企業で目標管理のマネジメントが行われれば、自分の成果を目標とした貢献に正しく昇華したかどうか主張しなければいけない。その時、その成果がどのように生まれたのか、正しく説明する責任と義務がある。
信じたくないことだが、著名な大学でも学位を見返りとし企業から研究を召し上げたり、逆に、企業では、アカデミアが関わった研究を独占しようとする行為が当然のように行われる。
前者は発表された論文が証拠として残り、後者は学会賞の履歴として残っている事実は、正しく貢献が成果に結びついていないという理由で、そこに関わった発明者の精神を傷つけ、イノベーションの士気を奪う。
バブル崩壊後の日本で失われた**年という言い方がなされたりするが、このような信じたくないことを経験してみると、若いイノベーターを社会が如何に育てるか、という前に、発明を如何に正しく貢献に結び付けていくのか、というドラッカーの提言の基本を、まず必死で問うことから始めなければいけない。
カテゴリー : 一般
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