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2024.09/15 大橋悠依選手引退

佐賀県で国民スポーツ大会が行われているが、昨日の競泳は、パリ五輪で一人しかメダルをとれなかった問題もあり、注目選手がどのような泳ぎをして何を語るのか興味深くTVを見ていた。


あの瀬戸大也選手は無事優勝し、内助の功を感じさせる発言を聞けたのだが、男子の若手が伸びていないことが心配になった。決勝では、もう少し多くの若手と接戦になるのかと期待した。しかし、パリ五輪に出場した瀬戸選手らに次ぐ選手が育っていない。


一方女子は、東京五輪で二つ金メダルを取った大橋選手が優勝できなかったように、若手の台頭があり、彼女は楽しく泳げたという。そして引退の弁を語ったのだが、感極まったのか涙を流していた。


この涙について説明の必要はないと思う。プレッシャーへ誠実真摯に向き合った証であり、その影響もありパリ五輪が終わるまで競泳そのものを楽しむことができなかったという。


昨日は競泳を楽しむことができた、と語っているのだが、優勝できなくてもこのように語る気持ちを何となく理解でき、当方も少し胸が熱くなった。


彼女にとってはラストレースだったので、手を抜いたわけではないだろう。できれば優勝したかったに違いない。それでも、楽しかったのだ。瀬戸選手の明るく軽いインタビューの回答の安心感とは対照的にTVを見ていた当方も感動する「楽しめた」という言葉だった。


昔、「メダル**がい!そんなにメダルが欲しいなら自分で泳いでみろ」と、叫んだ女子水泳選手がいた。代表となった選手が海外で楽しく競技に参加することは悪いことではない。


応援する側もプレッシャーをかけまいと心配している。選手が競技で自分のためだけに頑張っても許されるのである。それを表現した名言を披露したマラソン選手がいた。


ただし、その言葉は「自分で走ってみろ」とは、聞こえなかった。自分を自分で褒めているのだが、むしろ応援している人への感謝の気持ちとして聞こえたのである。


昨日の「楽しめた」も同様にファンへの感謝の言葉として聞こえた。言葉というオブジェクトの不思議な作用なのだろう。選手に与えるプレッシャーの問題を直接表現した千葉すず選手は悪いことをしていない。


しかし、年老いた人間に向かって自分で泳いでみろと言われてもそれは残酷な響きとなる。優れた記録を残しても選手に選ばれなかったが、それはそれで問題となる。


そこで彼女は後進のために日本の曖昧な基準を正す仕事をしている。彼女も瀬戸選手の配偶者も忘れられない選手である。スポーツにはプレイする以外にそこに潜む美しさに触れる楽しみ方がある。岩崎選手の醜聞で金藤選手の金メダルを思い出すように、記憶のトレーニングにもなる。

カテゴリー : 一般

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