2024.11/18 「混ぜる」技術の難しさ(5)
化学工学の領域で撹拌は重要なテーマである。しかし、その研究において「材料の変性」だけでなく「ナノオーダー領域」のミキシングが目標になっていないことを御存じだろうか。
50年前当方が学んだレベルから現在に至るまでの進歩は、コンピューターの利用とスタティックミキサーの発明ぐらいだと思う。ポリマーアロイの大家、故ウトラッキー博士のEFMや当方のカオス混合機もスタティックミキサーの一種である。
これらの発明が混合技術のパラダイム変換に基づくことに気がつかれていないことを残念に思う。話が飛びすぎるが、国民民主党の党首による不倫事件は男女共同参画においてイノベーションを起こすかもしれない。
玉木代表は政党のあり方として、倫理観の高い人間の集団であることが必要で「絶対に私は不倫をしない」と述べている。不倫をしない人の不倫とは何か、報道されてからの流れを見ると従来の政治家の不倫騒動とは少し異なる流れが起き始めた。
そもそも不倫とは、などと論じるつもりはないが、今回の事件が男女共同参画の場で起きたとするならば、この扱いを慎重にすべきである。男女がミキシング状態で仕事を進めるときには、今後も起こりうる問題だからである。人間は誰もが聖人君主になれるわけでもなく、ましてや選挙でそのような人を選ぶことなど不可能だからだ。
また、今回報じられた写真を見る限り、事前にロケーションを調査したカメラマンによるものと思われる。これが何を意味するかは述べないが、ミキシングの実験でもしかるべき情報を基に準備をしてそこで起きている流動状態を観察することで、コンピューターのシミュレーション以上の経験知を得ることができる。
ゴム会社に入社した時に、指導社員からポリマーの流動で何が進行しているのか、このような実験を行うとよい、と言われ、ロール混練で実験しながら幾つかの技をご指導いただいた。
すなわち、混合とは溶媒に媒質を分散する、あるいはAとBの溶液を混ぜるときに発生する流動で進行する現象である。ミキシング装置が変化しなくても、被混合物が変化すれば流動も変化し、ミキシング現象は様々に変化する。
装置で現象を律することができなければ、それを中心にした材料との関係における形式知の構築は難しいのかもしれない。文学の世界になるが、渡辺淳一の「失楽園」では奇妙な不倫が描かれている。
初めて読んだ時に不倫小説として読めなかった。この小説が文学として評価される所以かもしれないが、不倫は文化だと言った芸人も不倫というパラダイムの変換を期待していたのかもしれない。
同様に概念の扱いを慎重にしないとミキシングの研究に今以上の発展を期待できない。ミキシング技術は装置や設備の学問以外の領域まで視野を広げるべきで、平衡状態だけ扱っている物質科学の限界を超えるパラダイムで研究を進めるべきである。
それがどのようなものであるのか、当方もうまく表現できないが、科学的にうまく説明できない混合現象で新材料を創出した努力が幾つか成功した経験から、非科学の研究も受け入れる寛容さが重要かもしれないと思っている。
不倫よりも非科学を論じる方が日本では怪しくみられるかもしれないが、その意識を変えない限り、ミキシングにより材料を変性しようというアイデア展開は難しい。
カテゴリー : 一般
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