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2024.12/17 科学と知

1970年代から科学論がブームとなっていた。1980年代には似非科学者あるいは評論家がタレントとして活躍した時代である。


日本のこのブームは、アメリカの影響を受けてのことであるが、当時アメリカではトランスサイエンスが話題となっていたにもかかわらず、日本では科学礼賛のあるいは科学こそ命的な考え方で現在に至る。


就職して驚いたのは、大学よりもアカデミックだった研究活動である。1000に3ついや一つでも事業として成功すればよい、と本部長が語っていたのを聞いて驚いた。


また、科学の研究ができるのは大卒の証とまで言っていた管理職がいた。仮説設定しそれを実験で確認する作業は、それなりの知が無ければできない、という考え方である。


経験知は排除され、形式知をどれだけ身に着けているのかが重要とされた。ダッシュポットとバネのモデルによるレオロジーが懐疑的にみられるようになり、化学構造とレオロジーの関係が議論されるようになった。


1990年代にOCTAが生まれているが、大学よりも早くレオロジーの科学的研究の見直しが進められた。セラミックスの講座出身者にとって、その光景は新鮮だった。大学院の特別講義よりも先進的な話が議論されていた。東大はじめアカデミアの教官となる研究所員が出始めた時代である。


世界初のLi二次電池が生まれ、日本化学会化学技術賞を受賞したが、事業をすぐにやめてしまった。高純度SiCの事業は、それから約30年続いた。


必ずしもサラリーマンとして恵まれておらず、セラミックスのキャリアを捨て転職することになったが、技術者として幸先の良いスタート場所だったのかもしれない。高分子について多くの知を身に着けることができた。

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