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2025.01/04 暗黙知(2)

暗黙知は、生まれたときに芽生えるようだ。子供を観察していてそのように感じた。よく言われるが、幼児の質問には丁寧に答える必要がある。それは、暗黙知を必死に経験知に変換しようとしている瞬間だからだ。


初めて四則演算を習ったときに、何故九九を必死に覚えなければいけないのか、疑問に思った。疑問に思いつつ、毎日算数の時間に順番に皆の前で唱えなければならない、という理由で1日で記憶した思い出がある。


この思い出を鮮明に記憶しているのは、初日の九九唱和に合格したからである。当時は塾がよいの児童は稀であり、初日合格した数人は親の教育努力の賜物だった。当方の母親も前日一生懸命だった。


計算すれば出てくる値を何故暗記しなければいけないのか母親と激論を交わした記憶もある。「知っている」ことと「すぐに言える」ことは、全く異なる、と叱られたが、これが大切な言葉だと気がつくまで時間がかかった。


社会人になって、いつ受けた研修で聞いたのか忘れたが、「知っていても、すぐに行動できるとは限らない。行動できる状態で、知識が身についたといえる」と講師が語った時に、母親の偉大さを知った。


暗黙知も類似のところがあり、文章化できない暗黙知は、すぐに活かすことができない。しかし、何かもやーと感じている事柄について、メモ書きや九九のように言葉にしてみることは大切である。


メモ書きした内容やブツブツ言葉にしてみた内容が経験知として未完成であっても、やがてそれらを経験知として活かせる時がくる。もっともそれを期待している気持ちがあるので、もやーと感じるのであるがーーーー。

カテゴリー : 一般

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