2025.08/19 人生で大切なこと(1)
人生で大切なことは何か、と問われれば、それは「学ぶ努力」と答えたい。現代は知識労働者の時代、と語ったのはドラッカーだが、若い時に何を学んでも無駄となる知識は無い。
これが分かったのは70過ぎてからである。ここでは書きにくい、自分で無駄な知識と思っていた映画の知識がある。しかし、最近これが意外と重宝している。「何を学ぶか」、と「努力」とでは、努力が大切である。
だからと言って、自分探しの旅とか、何を学ぶのか探る巡礼とかは推奨しない。これらは無駄な努力である。何を学ぶか考えている暇があったら、まず目の前の勉強すべき課題をかたずけることである。
誰でも大なり小なり学ぶべき課題は目の前にある。ここで、それが何か分からない、という人は、今の時代を生きてゆけない。気づきが大切で、これができるかどうかは、謙虚さの有無に依存する。
謙虚さがあれば、他人に教えを乞うこともできるので学ぶべき課題はすぐに見つかる。謙虚さの無い人は、まず人に頭を下げることができない。このような話をしだすと道徳の話になるので、学ぶ「努力」について、まず述べたい。
知識を学ぶ努力には、二つの方向があって、それはトップレベルを目指す方向と知識の寿命を長くする努力である。トップレベルを目指していても、その知識が時代の変遷とともに陳腐化したならば、その時代のトップにはなれない。
だから、知識の寿命を延ばす努力とは、身に着けた知識を時代の進歩に合わせてブラッシュアップだけでなく、総入れ替えをしなければいけない時に備える必要がある。
総入れ替えを決断するためには、それを決断させる知識が必要で、トップになる努力と知識の寿命を永くする努力とは異なるものであることに気づく。努力というのは抽象的なので、具体例を示せば、トップになる努力をしている知識の方向と、時代に合わせて生まれる新しい知識の方向と両方学ぶ努力は、それぞれ異なる努力の仕方である。
50年ほど前に聞いた特別講義で、「π型人間を目指せ」というのがあった。すなわち、専門性を二つ持て、という提言である。これは、当時ドラッカーが二つの世界を持て、と言っていたのをパクったのではないかと思いながら聞いていた。
当時流行していたのは、学際思考であり、異なる二つの専門の境界領域の研究である。時代の流れが、専門性をタコツボ化してきたので流行したのだが、今から思えば、一つの領域の専門家では通用しない時代が来る、という兆候だったように思う。
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