2025.09/15 残業キャンセル界隈(5)
残業代が出ないことを承知で残業を命じた上司、そして残業代が出なくても素直に従った部下、しかし当時のことは心の傷として癒されず今でも残っている。
部下が残業しなければいけない状況で、それを拒否して帰宅するのは、ある意味健全である。そもそも残業させなければいけないような計画を立てている上司がダメなのだ。
働く意味は、貢献と自己実現、と言ったのはドラッカーである。樹脂補強ゴムの開発では、1年の仕事を3カ月でまとめるぐらい休日も忙しく働いたが、楽しい思い出として残っている。
残業をした、とか休日出勤をしたとかそんなケチな考えなど、今でも思いつかない。むしろ、混練技術や高分子プロセシングについて実技として学ぶことができ、充実した3か月間の思い出として残っている。
当時の指導社員にはお金では買えない知識と体験を指導していただき、大変感謝している。感謝だけではなく、神様のように感じている。
それに対し、本来残業をしないしつけをするために美人の指導社員をつけて、定時退社だけでなく、定時後の楽しみ方を指導予定と話していた上司が、世界初の成果を見たとたんに目の色が変わり、残業代が無いのに残業を命じてきた。
特許も素案を書かせておいて、上司がトップネームで当方は末席である。それだけではない。プレゼンテーションに失敗した原因を部下の責任にして、新入社員の当方に始末書を書かせたのである。
残業をキャンセルする若者の思考がどのような回路であるか、当方は知らないが、キャンセルされたからと言って、上司は怒る必要はなく、やらなければいけない仕事であれば、上司が行えばよいのである。
そもそも、仕事の価値は、上司と部下の関係で決まるのかもしれない。会社がどれほど立派でも直属の上司がポンコツであれば、部下にはダメな会社、無意味な仕事となるのである。
ドラッカーの定義づけた働く意味が、仕事に感じられるようにマネジメントしておれば、部下は残業キャンセルと言わないのではないか。
働き甲斐を上司が部下に説教するのは詐欺である、と言っている女性脳科学者がいる。部下が自分の仕事に働き甲斐を感じるのは、当方のサラリーマン時代を思い出すと、やはり、直属の上司と部下の関係が重要である。
貢献する気も起きないような部下と上司との関係では、部下は働かない。自己実現の可能性が無く、上司の責任まで始末書を書かされるような状態では、部下は皆「この課を出たい」と言い出すだろう。実際にグループ全員の大合唱を40年ほど前に見たときに、マネジメントの知識の重要さを学んだ。
QMSが普及し、新しく赴任した部署ですぐに仕事を始められる環境の職場は多いだろう。しかし、上司と部下の関係は、仕事を通じ育ててゆくものである。仕事を単なる作業として部下に任せてはいけない。
カテゴリー : 一般
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