2026.03/10 明と暗(3)
ダンフレームBとは、当方が入社した年にゴム会社から上市された難燃性天井材である。入社し9か月後に異動となった。その新たな職場の上司の成果で、某大学の先生のご指導で難燃化に成功した製品である。
その先生もTVで誇らしげに、炎から高分子が逃げるように難燃性を示す新物質と説明していたので、当方の年代の方ならご存じの方もいるかもしれない。しかし、この技術は怪しい技術であり、今どきこのような難燃化手法で材料開発など行わない。
入社し翌年の1月に異動して、全自動LOI測定装置という評価装置を見つけた。LOIが規格化される前に独自開発された装置と上司が誇らしげに自慢していたが、指導社員が、発泡体の測定ができなくて困っている、と話してくれた。
詳細を省くが、この使えない測定装置を使用可能な状態にして、ダンフレームBのLOIを測定したところ19だった。すなわち、空気中でよく燃えるような材料だった。それから1年後、新築の家で台所火災が目立つようになった。
そしてJIS難燃2級の規格見直しプロジェクトが国研として立ち上げられ、つくばにある建築研究所が中心になって新たなプラ天井材難燃規格検討が推進された。そこではゴム会社が中心的役割だったので、当方は建築研究所へ週に1回通勤することになった。
ただし、そのための出張予算など計画外であり、タクシーの使用が厳禁とされただけでなく、出張申請も2回に1回とされた。当時はこのような無法が許されていた。
そのため、朝混雑する常磐線にヘルメットと安全靴、作業着の3点セットとサンプルを抱えて乗り込み、荒川沖で満員バスに乗り、建築研究所へ通う過酷でさらに出張手当は半分の仕事となるはずだった。(宅急便代を認めてもらえず、荷物が20kgを超える時もあった。畳1枚の大きさの試料については、持って運べないことを上司にアピールし宅急便の使用を認めてもらっている。)
ところが建築研究所の主任研究員が高校の先輩で、出張時には荒川沖まで当方をお迎えに来てくれた。そしてお昼は毎回ごちそうしてくれただけでなく、残業のあった日には夕食までごちそうしてくれたのである(注)。
さらに、ポリウレタン発泡体では、台所用天井材は難しい、ということが明らかとなり、フェノール樹脂発泡体を新たなプラ天井材に使えないか検討することになった。
おかげでフェノール樹脂発泡体の初期検討データーは社外発表許可が出て、これが高分子難燃化セミナーのよい教材となっている。
研究所の予算の都合で出張手当が十分に出ず、本来なら宿泊出張となるであろうところ、両手では持てずリュックを背負って朝早く始発に乗り、疲労困憊となって独身寮に帰る過酷な仕事だった。
「今時そのような大企業があるのか」と呆れた先輩が同情し送迎だけではなく、昼食まで面倒を見てくれたことを難燃化セミナーを講演するたびに思い出す。
(注)官民接待となるので一度はお断りしている。しかし、税金ではなく先輩のポケットマネーであり、さらに当方が病気になっても困るから、と言われ、先輩のご厚意に甘えている。スタッフが当方一人という過酷な仕事だった。昭和の時代にはこのような知識労働者が多かったのではないか。サービス残業に、過重労働、出張旅費も十分に出ず、パワハラの嵐でも頑張った。それが良かったとは思わないが、それでも仕事を前に進めた結果としての思い出がある。
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